わびさび2世号 信州小海線ロングポタ.5日目 02.09.06 |
が、最終日9月6日は雨。あっちゃ〜でございました。でも小諸から軽井沢のローカル線はなかなか雰囲気が良かったです。でも軽井沢に着いてもまだ雨。まあしょうがないので走りだしました。 妙義荒船林道(松井田・妙義山線)への分岐は見落とさないようにあらかじめGPSに登録しておきました。工事中で通行止めとは聞いていましたが、こりゃ本気で通行止めだわね。
上州姫街道まあ、半分予想していたことなのでそのまま下仁田の方に降りることに。雨は降り続いていましたが、でもなかなかの景観。 旧道と新道に分かれていたらもちろん旧道へ行くのですが、なんか集落の入口に。この先が上州姫街道本宿だったんです。 本宿下仁田町の本宿は、古いまち並みが自然な形で残されていて、とても雰囲気のある処でした。というか知らなかったんでこの街並みには感動ひとしおでしたね。雨の中を走ってきた甲斐があったと言うもの。 本宿は文禄2年(1593)に西牧関所が設置されて以来、中仙道脇往還である姫街道(下仁田道)の宿場町として賑わっていたそうです。皇女和宮もここを通ったんでしょうね。だから姫街道? 違うようです。 下仁田から本宿を経て和美峠、内山峠を越えて信州に至る道は、中仙道の脇街道として上信間の、米その他の商品輸送路であった。 碓氷関所が厳重さを加えるにしたがって、女の通行の警戒が厳しくなると、この街道が利用されたので「姫街道」と言われた。西牧関所は、文禄二年(1593)12月、甘楽郡本宿村藤井の地に、代官大久保石見守らにより創設され、別名藤井関所とも呼ばれた。 本宿・森平・根小屋の三カ村の名主らが番頭となり、西牧領の全村民が交代で下番を勤めた。 関所としては小規模であったが、その交通量からして役目は大きかった。 のち安中藩に移管された。(県立歴史博物館・五周年記念企画展の資料より) はずれに西牧関所=藤井関所があったんですね。今調べるまで知りませんでした。
北国街道海野宿の様に映画のロケ現場のようなきれいにそろった感じではなく、古い町屋、そんなに古くはない家が混在ですが、それがなんか自然な感じで。 この写真は14:34、下仁田には15:00に着いたようです。蕎麦かなんかを食べたあと、確か初めてフォーク抜き輪行をやってみたのがこの時だったような。電車の時間がだいぶあったので。 そうしたら刑事さんが寄ってきて、いや取調を受けたわけじゃないですよ。(笑) しかし下仁田からの帰りの長いこと長いこと、半日電車に揺られていたような気がします。なんせこの日は金曜で、東京近辺ではラッシュ時間にぶつかるので、大宮で京浜東北線始発に乗り換えたせいもあるんですけどね。京浜東北線なら大宮始発、自転車は車両の端にちゃんと陣取れる。そして終点の大船までそのまま行けます。途中でラッシュになってもおいらは先住民。 当時はJR湘南新宿ライン快速なんんか無くて、北鎌倉駅に着いた時刻は画像のデータによれは22時13分。まあ、途中で食事を2回して、休み休みってのはあるけど、それにしても下仁田着15持00分、北鎌倉駅着がその7時間後ですぜ。もううんざりぐったりでした。 今度行くので今調べてみました。高崎から新幹線を使えば食事時間なしで計算上は3時間ちょっと。下仁田15:25発で大船に18:33に着けるんですね。この歳になるとコストがかかっても体力温存。(苦笑) 2007.04.27 記 |