鎌倉の桜 2005   浄智寺

浄智寺 4.9

浄智寺もドバッと咲いている訳ではないのですが如何にも山里の桜と言う感じで赴きがあります。


こちらは神奈川名木100選にもなっている浄智寺のタチヒガン。ちと小さめの花びらです。しかし、こういうアングルで撮るのはきついですね。桜の色が空の明るさに紛れてしまいます。


浄智寺らしい画像と言うとこんな感じですかね。


しかし、周囲の山に見える桜の風景がやはり私は一番落ち着きます。


この日は花まつり、仏生会(ぶっしょうえ)、潅仏会(かんぶつえ)ともいい、ようするに仏様のお誕生日パーティーをやっていました。
本当は前日の4月8日なのですが、それは各お寺でそれぞれやって、平日にはお参りできない一般信者の為に一番近い土曜日に鎌倉のお寺の(五山の?)持ち回りでやるのだとか。今年は浄智寺の番だったんだそうです。


子供の頃、と言うのはもう40何年前になりますが、中学の帰りだか小学校の帰りだかにどこかのお寺さんでこうやって仏様に甘茶をかけ、甘茶を貰ったのを覚えていますが、あれ以来40数年ぶりじゃないかな? 私は。
ん? この後ろ姿は・・・・、なかなかしっとしした着こなしで最近にしては珍しい、夏の花火大会に由比ヶ浜を闊歩する浴衣のジャリどもに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいような。

おお、お美しい〜。(*^,^*)
おっさんジャマ!(`ヘ´) プンプン。


なんか着崩れてるんじゃないかって?
もっとちゃんとした画像は有るんですが、なんか私はこの画像が気に入ってるんですよ。なんか沖縄風の着こなしに見えません? あるいは安土桃山時代の遊女絵のような。銀座のチイママやらお花のお師匠さんにたいな玄人な着こなしではないですが、ありゃよそ行きの着付けで、こうしたザックリとした着こなしが本来の日常的な着こなしだと私は思うですよ。
ところで何で沖縄風と感じたのかと考えていたんですが、この視覚的な帯の位置かな〜。あくまで結び方からの視覚的な問題ですが。

そうそう、「安土桃山時代の遊女絵」の遊女ですが、あれは今イメージされる遊女じゃないと思いますよ。平安時代の「更級日記」にも二回遊女が出てくるんですが、読みは「ゆうじょ」じゃなくて「あそび」です。「あそびめ」でもない。今で言えば芸能人です。
「更級日記」の作者は女性でその女性がお供を連れて旅の途中の仮の宿にやってきた遊女(あそび)にすばらしい舞だ、美しい声だと言って感動してます。
がまあ、それはまた改めて。

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