流鏑馬総集編 2008 例大祭・小笠原流の流鏑馬神事 09.16 |
鶴岡八幡宮の流鏑馬です。9月の小笠原流は鶴岡八幡宮例大祭の流鏑馬神事。 だからこのページを作るのもとっても楽。2007を2008に変えてコメントだけ書き直せばいいんだから。(笑) 的が見える側はすべて招待席。が、去年はその招待席で御座いましたが。今年も、招待客のリボンを貰ったのですが。でもこっち側に来ました。直前までの雨で押し寄せる人は激減。おと年は一般席だとなにも見えなかったのですが、これなら的側でもちゃんとポジションは確保出来るだろうと思ったので。当たり。大正2年の『吾妻鏡の研究』なんて本よ読みながら待つこと2時間。始まりました。 先頭の所役のお二人は大きな紅白の軍扇をもっています。あれで「準備OK!」と、馬場先と馬場元で合図をします。なんせ250mぐらいありますから。 流鏑馬神事は小笠原流の3騎によって行われます。射手は鎌倉時代のあげ装束といわれる武士の狩装束。腰の箙(えびら)に矢を刺しています。箙の形が良く解りますね。 三の射手は小笠原家の御曹司? お孫さん? よく解りません。 時代考証的にはちょっと? なところもありますが、確かにこの兜は鎌倉から南北朝ぐらいの形に見えますね。って、そんなに詳しい訳ではないんですけど。 一端馬場元に行ったあと、馬場先(だっけ?)に移動し、そこで奉行より「流鏑馬神事、始めませぃ!」と下知があります。 この方は2番手。太刀の鞘も鹿皮で覆っています。なんて言うんだっけ。 弓は重藤(しげとう)の弓。弓を持つ左手に付けるのは射籠手。足に鹿皮の行縢(むかばき)を付けています。 しかし重藤(しげとう)の弓って、平安時代の軍記物に沢山出てくるんで、えらいカッコいいんですけど。その後の竹を貼り合わせた弓(弓道で使っているやつ)に比べるとえらい性能が悪いらしいです。普通に弓道をやってるぐらいじゃ使いこなせないかも。それに平安・鎌倉時代って、あそこまで引き絞らなかったんじゃなかったっけ? そういう意味でも、この人達凄い! 馬場先から戻ってきました。赤い扇の方は馬場先に残っています。だから白い扇の人だけ。 馬上の射手は一番手の方ですね。 流鏑馬の開始です。と言っても1の射手は上手く撮れませんでした(泣)。で2の射手が射る瞬間。 おっ、ちゃんと雁股(かりまた)が付いた鏑矢(かぶらや)を使っているのが良くわかりますね。 当たったのでしょうか? この位置からはわかりません。 三の射手。三の射手はいつも小笠原家の御曹司みたいで。この画像では反射のかげんで解らないかもしれませんが、拡大してみたらちゃんと雁又の矢でした。 この装束で行うのは三人の射手で一回だけ。こんな装束を沢山揃えるのは大変なのは解るけど、だったら二回ぐらいやってくれたって、と観客の立場からは思うのですが。神事ですからね。 これで流鏑馬神事は終わりですが、このあと江戸時代の装束による騎射挟物が15人の射手によって行われます。次ページ>>からどうぞ。 |