北鎌倉 2012.06.08    東慶寺の二人の和紙展  

さて、今日からここ東慶寺では「二人の和紙展」が開催されているんで御座います。
ほんで我が輩はその「特別企画 東慶寺和紙めぐりツアー」に申し込んでおったので御座います。
何でって? 寒雲亭でお茶が頂けるんですよ。とうとう私も寒雲亭デビュー♪
お茶会じゃないけどね。

東慶寺の二人の和紙展_01.jpg

「二人の和紙展」は宝蔵だと勘違いして、そっちを覗いたらこないだと同じ「禅僧の画いた達磨展」じゃありませんか。あれれ? えっ、会場は白蓮舎なの? おっ、やってる。

東慶寺の二人の和紙展_02.jpg

「二人の和紙展」の二人というのは、出雲の斐伊川和紙の七代目紙漉職人井谷伸次さんと、江戸経師の鈴木光典さん。斐伊川和紙なら知ってるぜ。といっても会場でこの帯の印刷を見て気がついたんですがね。井谷伸次さんて割とお若い方だったので、私が買っていた30年前は先代の漉いたものだったんですね。

これは「二人の和紙展」とは関係ありませんが、白蓮舎の床の間の生け花。山法師? でも花びらの先があんまりとがってないぞ。花水木かしら。でも、良いですねぇ。

東慶寺の二人の和紙展_03.jpg

3時に会場に入ったらご住職の奥様が「岩がらみはどうでした?」と。「風が強くてねぇ」とぼやいたら。「ホホホホホ、その風を撮らないと♪」だって。負けた。(;^_^A アセアセ…

「東慶寺和紙めぐりツアー」の最初は宝蔵の「禅僧の画いた達磨展」会場で、掛軸の装幀について江戸経師の鈴木光典さんに解説して頂きました。

そのあと書院へ場を移します。それで寒雲亭の前を通り過ぎようとすると、わっ、打ち水がしてある。今日の客人はおれっちだぜい♪

東慶寺の二人の和紙展_04.jpg

で、書院へ。ここから入るのは2回目ですね。最初はアーユルベーダ講演会のときでした。

東慶寺の二人の和紙展_05.jpg

これは入る前に撮っていたものですが、セッコクは残っている花はちょっとだけ。
もう殆ど終わっていました。

東慶寺の二人の和紙展_06.jpg

ところで経師屋さんというと、書や、絵などの、巻物、掛軸の表装をする人ってイメージなんですが。屛風,ふすまから障子まで、要するに和紙と糊に関わることなら何でも、と言ってもよいぐらい幅広いみたいです。

更にところが!
経師の仕事がそういう仕事になったのは最初からではなくて、奈良時代には経師とは写経職のことだったみたいです。昔は印刷はありませんでしたからね。正倉院文書の中には、写経所は、「経師」(写経する人)、「校生」(写経された内容を校正する人)、「装こう」(写経された紙を経巻に仕立てる人)、によって構成されていたとあるとか。

平安時代になると、すくなくとも官寺には経文は行き渡り、かつ僧たちが写経を行うようになったため、写経専門職たる「経師」の仕事は減少し、そこで経師は「装こう」の仕事もするようになったとか。鎌倉時代には経文の中国からの輸入も盛んでしたよね。そうして室町時代には装幀の仕事を確立していったそうです。

書院では新しい襖が、という話だったんですが、「あそこにふすま絵なんかあったかなぁ」と思ったら、和紙と経師の話ですから、ふすま絵じゃないんですよね。
書院に入るのは3回目なんですが、鈴木光典さんの解説を聞くうちに、これまで全く気に止めていなかった白いだけの障子や襖が、「すげ〜!」と思うようになりました。

 


そしていよいよ寒雲亭です。
先頭を私と経師の鈴木光典さんで歩いていたんですが、鈴木さんが、
「いや〜、仕事で入ったことは何度もあるんですが、今日はそこでお茶を頂けるなんて緊張しますねぇ」と。御意に御座ります。
でもねぇ、私の場合には「そこでお茶を頂ける」どころか、この結界から一歩中に足を踏み入れるだけで「緊張と感動」の一瞬で御座いますよ。あっ、この方が鈴木光典さんです。

東慶寺の二人の和紙展_07.jpg

後ろから「貴人口からどうぞ」と。
鈴木光典さんが後ろの方に結界の竹を渡したりしたので、私が先頭になってしまいました。
で、貴人口の前でドギマギしていたら、後ろから
「今日はお茶会ではないので、そのままお入りください」と。
ならば、と障子を開けると、茶道口の処に御住職の奥様が。びっくりしたぁ〜。
いや、御住職の奥様って、これまで口を聞いたのはアーユルベーダのときの1回だけなんですよ。それが今日はこれでバッタリが3回目ですぜい。光栄なことで御座いますが。

しかし、寒雲亭の貴人口から入る一人目だなんて、これがお茶会ならお正客。俺って凄い!
・・・たまたまだろうって突っ込みはごもっとも。m(_ _)m

寒雲亭には3つのお茶室がありました。
私も左千家流の師範代を務める身では御座いますが、我が家の茶室とは違うなぁ。
お前んとこはどんな茶室なんだって? 立礼な茶の間に御座います。
おなじ「さどう」でも「茶道」と「左道」では違うんですね。当たり前だ。(。_・☆\ ベキバキ

色々と興味深いお話が聞けました。
和紙も木材と同じように何年か寝かさないと暴れて大変だとか。
笑っちゃったのは、「ここには東慶寺の方はいらっしゃらないので言っちゃいますけど、あの書院の襖を漉きあがったばかりの和紙で張れなんて、経師にとっては最悪な話で・・・」と。
私の位置からは茶道口の向こうに御住職の奥様がいらっしゃるのが見えていたんですよね。
でも、和紙も漉き手によって、暴れ具合が違うそうで、斐伊川和紙の井谷伸次さんのものは、その点でもとても良いのだそうです。

その紙を寝かせる話で、
「昔の家なら四季の温度や湿度の変化がほぼ直に屋内にも伝わるだろうけど、今の密閉されたマンションとかだとどうなんですかね。」
と聞いたら、確かにそういう保存環境の問題もあるそうです。
下手をすればカビが生えてしまうとか。
宝物風入れも、乾燥した時期に風にあててまた保存するためなんだそうです。
更に書家の家には紙用の桐箪笥があったんだって。
私んちなんかはサッシにまで隙間風があるし、空調も温度調整もろくに無いからイイかも。


流石にお茶室の写真を撮る度胸は無かったので、門の外から。右上の棟は待合いですね。

東慶寺の二人の和紙展_08.jpg

えっ、お前、本当に中に入ったのかって?

東慶寺の二人の和紙展_09.jpg

あのねぇ、普通はこの下の位置からしか撮れないんですよ。

東慶寺の二人の和紙展_10.jpg

 

で、表に出てこんな写真を撮っているときに、女性に声を掛けられました。
Yさんでした。いや〜本当は岩がらみ撮影会の前からそうかなぁと思っていたんですがやっぱり。
「撮影会のとき居ました?」「居ましたよぉ」「全然気がつかなかったわ、お互い顔を覚えましょうね」だって。Yさんとは十文字先生の講評会で始めてお会いしたのですが、お話したのはほんの数分なんですよぉ。あとUさんもいらっしゃいました。

東慶寺の二人の和紙展_11.jpg

 

前回の講評会のときは、Yさんは「あと少し写真を撮っていくから」とお別れしたのですが、今日は三人一緒に。途中でYさんが、「あっ、これ綺麗。これあたしの!」とカメラを構えたので
「甘い。横取り!」と即座にシャッターを押したのがこの写真で御座います。
作品では負けても早撮りなら負けません。

東慶寺の二人の和紙展_12.jpg

そのあと三人は駅前の「門」でご歓談。やっぱYさんて面白い人ですね。(笑)
Uさんとは始めてお話しました。

どんな話をしたんだって? アマチアカメラマンにもマナーの悪いのが居て、長寿寺は一眼レフ禁止になっちゃったし、妙法寺も・・・、なんて話を。
あとは「PENTAXは単三電池が使えた入門機が無くなって、専用バッテリーの高級機K5だけになっちゃって、頭にくる。単三電池は専用バッテリーの2倍ぐらい撮れるんだぜ。何で無くなっちゃったんだ、何で他のメーカーは出さないんだ。」
なんて話をね。したら、PENTAXは今度K30ってミドル機を発表していてそれで単三電池も使えるんじゃないかって。へ〜、良いこと聞いた。
ちゃんと写真やってる人とカメラの話をするなんて何十年ぶりだもんね。

他の季節は北鎌倉・東慶寺 index からどうぞ