朱垂木やぐら群です。
その中心の朱垂木やぐら。やぐらって現在では風化で苔むした洞穴にしか見えませんがが、建立当時の内装は豪華であったことを証明する例としてよく持ちだされます。やぐらが何であったのかはwikipediaの「やぐら」をご覧ください。
何で朱垂木やぐらと呼ばれるのかというと、これです。朱色で屋根の垂木を模しています。
ほぞ穴が見えます。 扉の横木を填めたと思われます。昔は立派な扉があったんですね。
そしてこれは位牌の彫りつけ。建長寺の仏殿にあった雲形位牌を思い出してください。あれです。
正面中央には立像の仏像が置かれていたんでしょう。木製だった? 持ち去られてしまったようです。本尊の背後を舟形光背が彫刻してあります。 この舟形光背には白い漆喰の上に日月と雲が描かれていたらしく、漆が黒い線となって残っています。 何で漆がと思われるでしょう。金箔の截金(さいきん:切金とも)を施す為です。元は白地で漆の線の部分は金色に輝いていたものと思われています。
天井には白い漆喰が残っています。今はただの岩穴にしか見えないものがほとんどですが、内部は削りっぱなしではなく、漆喰で平らに白塗りされ、 さらにその上に漆で唐草などの絵が描かれているものもあります。寿福寺の唐草やぐらが有名ですね。ここでは円がうっすら見えますよねぇ。その円の中に彫られていたのは種子(しゅじ)じゃないかと思うのですが。
これはちょっと離れた処のやぐら群。
けっこう大きいですね。というかやぐらとしては大きい方。
こちらにも。 だいぶ離れたやぐらですが。
どこまでが羨道でどこから玄室なのかよく判りませんが、羨道が風化しちゃったんでしょうか?
右側はだいぶ風化していますがどの位置が羨道であったか判ります。あの立ての窪みは木の柱を埋め込んだ跡のようにも見えます。 上下の写真とも白い漆喰がだいぶ残っていますね。
こちらは更にだいぶ離れたやぐら群。というかやぐらの飛び地? ほとんど単立と云っていいぐらい。
外から見るとこうです。
これはもうほとんど埋もれてますね。ほんとうに埋もれてしまったものが沢山あると思います。
こちらはしっかりと残ってますね。
鎌倉時代ですね。中を覗くと三面壁の天井下に長押(なげし)状の納骨用彫り込みをもっています。左下の四角い穴(龕)も納骨用でしょう。龕の中は漆喰が残っているところ、剥がれたところの差が良くみてとれます。
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