2015.06.06 化粧坂から銭洗弁天へ |
海蔵寺から向かったのは化粧坂(けわいさか)。例によって蘊蓄はこちらで省略。 お嬢ちゃん:「え〜、これ登るの〜?」。 「ゆっくり登って! 前足に急に体重をかけたらダメー」。 でもさすがは両執権様。いくさ場を歩き馴れてるみたい。 あれ? 悪の秘密組織が馴れた足取りで先頭を。 (出典):中村光、『荒川アンダーザブリッジ』 巻6第141話「染め物」 pp.33-34 「中腰でね〜 ゆっくりね〜。」
とか言いながらその脇をスタコラサッサと駆け上がります。
あれ? 執権奥さまどこ行くの? と思ったら写真を撮るためのようです。
はい、化粧坂終了。でもほんとうに鎌倉時代の坂がこれなのかどうかは、多分確立2〜3割?
山道はこれで終わりではありません。銭洗弁天に行くのもわざと山道で御座います。 案内ページに使った昔の写真ですが。 その山道を降り立ったところに「佐助二丁目25番地」の住所表示が。 注:北条氏の時代にお飾り将軍が鎌倉を追放されるとき、御所から謀反人として逆輿(高位の犯罪者は護送されるときに牛車や輿に、前向きではなく後向きに座らされる)で左介へ送り、つまり『健治三年記』に見え る左介時国の祖父、時盛の屋敷に一旦送られ、そこで上京の準備を行い、数日後に京へ向かうのが例であった。『とわずがたり』にもその様子が記されている。 銭洗弁天には今様でなく、古式に則り正規の入口から。
あっ、公方が帽子を脱いでる。心を入れ替えたようです。
時頼様が仰ったのは、欲にまみれた心を清めなさいってことだったはずなんですが、
いつになく真剣なふたり。
おっ、お嬢ちゃんにはもうご利益があったようです。
こちらが今様の出入り口。まあ、私も好きなんですけどね。この雰囲気。(笑)
特にこの瞬間が。 他の季節は銭洗弁天への散歩道 indexからどうぞ |