鎌倉オフ Vol.4   由比の若宮から百苑へ    2016.07.18  

執権奥様の強権発動で急遽コース変更の経緯は、前日に「由比若宮寄れませんか? 行ったことないので、一度見ておきたい」という御教書が。
口当たりは柔らかいのですが、なにせ執権奥様の御気色。他の高官達も「奉行人殿、執権奥様の御下命とあらば、努々(ゆめゆめ)等閑の儀あるべからず!」となり、一介の鎌倉奉行人に過ぎないわたくしは「ははー! 御意に御座りまするぅ〜。」 と云うしかなくなるので御座います。
慌てて地図を開き、お昼が遅くならないように進路を変更。

という由比の若宮の入り口です。暑かったね〜、この頃。何時だっけ? 1時6分か。

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ここが元八幡、由比の若宮に御座います。
で、執権奥様が何で由比の若宮を見たかったかというと、なんかの古文書、鶴岡八幡宮の記録だっけ? 鶴岡八幡宮の別当と別に若宮の別当が任命されているってことからだとか。
蓮暑談:「え〜、それ、石段の東の若宮のことでしょ。ここじゃないよ」
執権奥様談:「えー!そうなの? 興味なくなっちゃった」
全員 :一斉によろける(笑)

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ここでちょっと整理を。

若宮とは八幡神のことではなくて、御霊信仰から始まった八幡神その他の神の眷属みたいなもの。八幡神とは別なのです。頼義は八幡神ではなくて、その眷属を元八幡に私的に勧請。八幡本神の勧請などという大それたことは頼義には出来ません。

で、頼朝は、その関東の武士は頼義の前九年の役以来源氏の家人である、自分は頼義からの源氏の嫡流、だから敵も味方も関東の武士はみんな自分の家人と宣伝。あの場所にあった若宮を現在の位置を移し、もっと大きな神社にして関東の武士の結集の場にします。つまり最初の鶴岡八幡宮は八幡宮でなくて鶴岡の若宮。だからその前の大路は若宮大路。

ところがその若宮が建久2年(1191)の鎌倉をほぼ総なめした大火災で灰燼に帰します。この時点では頼朝は京に対しても大きな発言力を持っていたので、八幡の若宮(眷属)ではなく、八幡神そのものを勧請し、若宮の上の現在の位置に鶴岡八幡宮を建てる。若宮は元と同じく石段の下に再建。これは現在も石段の右側にあります。とまああ、大ざっぱにはこういう流れです。 

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そのあと近くの石清水。

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それから踏切を渡り、辻薬師堂。 

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逆橋・町屋址。うう、露出に失敗。
こういうことを「弘法も筆の誤り」と申します。(,_'☆\ ベキバキ

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そして大町四ツ角・百苑 でお昼に御座います。
お勧めはリーズナブルなザル棊子麺。
1000円です。蓮暑はつゆを付けずに麺だけ食べて「これは旨い」と。 

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お好みでとろろざる棊子麺。擦ってあるととろじゃなくて刻んだとろろいも。1450円です。 

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なんだっけ、これ。冷やし棊子麺で一番高いやつ。みんなにこれはどういうんだと云われたんだけどうまく説明出来ない。なので「ええい、俺が頼むからそれを見ろい!」。ほんとは冷や麦が食べたかったのにー! 2100円です。

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そして向かいの和菓子屋さん、大くにへ。誰か店の写真撮ってない?
おじょうちゃんがいたら貰えたのになぁ。ええい、昔の写真でごまかそう。

ここは蓮暑の実況中継で。

いわたさん、店の中で買い食いを始めて(小学生もビックリですよ)、、、まさに傭兵。
だけど結局みんな店内で食べましたm(_ _)m

小学生いなかったし、そもそも他のお客さんがいなかったからだよ。
それに俺なんてまともな方だよ。
昔に連れて行った自転車乗り
なんて、親爺さんから受け取った大福を丸ごと口の中へ放り込むんだから。一口。ほんの一瞬の出来事。(;^_^A アセアセ…
「即座にパクついているところ撮っておけばよかった」と掲示板に書いたら、
そいつは「ちゃんとお店のおっちゃんにお金渡した後じゃぃ!(-o-) 」 と。
いや、そういう話では。
俺みたいな常識人はちゃんとお上品に2口以上で食べるって話だったんだけど。
それに、おれ、二つ目の大福はちゃんと店の外で歩きながら食べたぜ!
それにそれに・・・・、人のこと云えないじゃん! 

でもおおくにの親爺さん。「なんてガラの悪い集団なんだろう」って思ったかもね。
俺の評判が落ちるじゃないか。困るなぁ〜。
みんながまねするのがイケナイんだよ。
俺のせいじゃないからね。