建築史の旅・平泉編  大会二日目は危うくランチ難民   22/12/25 

午前の部

大会二日目は10時より弘前大学の斉藤利男氏による記念講演
都市平泉研究―中世都市研究における意義と可能性」からです。
冒頭に「私はこの大会の趣旨とは違う意見を持っているので最初は断ろうと思った」と穏やかならぬ発言が。趣旨の何処に?と思ったら現在の平泉研究者で平泉に条坊制があったなどと考えているものは居ない!と。平泉に条坊制なんて趣旨に書いてあるの? と読み返したらここですかね? 「平安京を真似たとされる都市プランは部分的に検出されるものの土塁や堀などの土木構造物が目立つなど、平泉文化には一見、矛盾するかのような側面が見いだされるようになった」要するに、鎌倉と同じで昔は「平安京を真似た都市プラン」という説があったんでしょうね。

私は都市平泉の研究史を全く知らないんですが、有る訳ないじゃんと思います。その理由は鎌倉の時と同じで、奥州藤原氏の時代に京ではもう本来の条坊制は崩れている。それより200年も前の藤原道長の時代だってもう本来の条坊制を維持しようなどと云う気は無くなっていると思いますよ。だってあの人、坊門の礎石を持ってっちゃったんですから。条坊制の玄関である羅城門だって『今昔物語集』の段階でこのありさまですぜい。鎌倉も平泉も諸外国の外交使節団に見得を張る必要など有ったのでしょうか。有る訳ないでしょ!

平安遷都時の大路小路による地割りは確かに残ってはいますが、
でもそれなら今でも多少は残っているんじゃありません?

なのに何故地方都市研究者の頭に条坊制が浮かび上がるのかと云うと、それは例えば鎌倉が、もしかすると平泉も、奈良・京都に次ぐ立派な都市なのだと云いたい、思いたいだけなんじゃないですかね。系図で祖先を偉い人に結びつけるのと同じ感覚? 

今大会の趣旨にある「平安京を真似たとされる都市プランは部分的に検出されるものの」は「昔はそういも言われた都市プラン」程度の意味じゃないですか? 斉藤先生のあの発言も「昔そう言われた都市プラン」力を込めて全否定するための演出ではないかと。

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ランチタイム

11時半にそれが終わり、午後の部は1時から。その間がランチタイム。
ところが駅前にあるお蕎麦屋さんは一軒は日曜なのに「本日休業」。もう一軒など「閉店」。
駅の近くには他に店は無し。確実なのはこの世界遺産ガイダンスセンターの向かいの道の駅平泉だけ。実は朝にガイダンスセンターに行った時に11時からレストランが開店することを確認していたのです。

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でも最初は不安でした。 だって入り口がこうですよ。
本当に営業してるんかしら、まだ工事中なのではと思うでしょ。

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でも中へ入るとあっちは営業してるんです。 

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で、レストランに。
         地方らしいものと言うと、はっと汁? これにしよう♪ 

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出てきたものがこれ。
なんかほうとうとスイトンの中間みたい。なんか楽しい♪ おにぎりはひとつは追加したもの。 

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レストランの内部です。 

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後で他の参加者に聞いたら駅のコンビニでカロリー補給みたいなのを買って食べたとか、道の駅平泉に行ったんだけど、向かいのガイダンスセンターに入って見てたら食事の時間が無くなっちゃったとか。皆さんやっぱり平泉には苦労したのね。

午後の部

午後の部はシンポジウム「みちのく都市文化再考―平泉の建築と都市を中心に」です。

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合計七名の方の論点は来年の「都市史研究」10号をお待ち下さい。
年刊の機関誌「都市史研究」は前年のシンポジウムのテーマに沿って編集されるそうですから。

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そして討論。
建築史でも中世住宅な私には西洋古代史からの視点などとてもコメントできません。

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大会が終わって

このご時世なので懇親会は無し。やろうにも店が無いし。
でも我々4人は一関まで行ってミニ懇親会です。私はお三方とも初対面なんですが、私以外のお三方はどうやら東大建築科で大学院の同窓生らしい。名刺をもらったら教授に特任教授にお一人なんか工学部学部長だって。皆さん大学(院?)時代の昔話で盛り上がってました。
美大中退のお前は一人ポツンかって? いや、時々混じってましたよ。ある方が「俺は芦原先生の方が」というので「その芦原先生て、芦原義信のこと?」「知ってるの?」「武蔵美の建築科の主任教授だし、高校の頃に『外部空間の構成』(彰国社、1962年)を買ったし」と云ったらビックリされました。逆にこっちがビックリしたことも。「後藤さんがさぁ」というので「その後藤さんて工学院の教授になった人?」と聞くと「今は工学院のトップなんだよ〜、理事長なんだから〜」と。でも理事長って経営者でしょう、学長と言われたのを俺が聞き間違えた?と思って検索したら本当に理事長だった。ビックリ仰天。何で建築史家が理事長になるの!(O.O;)(o,o;)

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お一人は一関から別の新幹線だったの? あとのお二人と新幹線に乗って仙台まで。 
車内でも色々と面白い話が。でも建築史研究者でなければ通じない話なのでここでは省略。あっ、そうだ。京都大会の私のレジュメを送らないと。すいません、サイトの更新を優先してました。
   レジュメが見つからない。発表のスライドはこれなんですけど。
仙台でお二人とお別れし、私はそのまま乗車。東京に10時に着きました。最寄り駅には11時頃だったかな? 

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でも3日間歩き廻ったので翌日には筋肉痛が。フキフキ "A^^;