わびさび2世号 信州小海線ロングポタ.4日目 02.09.05

FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」 Date: Wed, 07〜09 Aug 2002

しかし、北佐久郡の千曲川から西も東も「峠攻略」な方々で有名な峠が沢山有りますね。
しかし「峠攻略」派ではない裏山サイクリスト転じて山麓ポタリストの私としては小海から先の千曲川西側なんか、地図で見る限りはおもしろそう、というか面白いかもしれないエリアに見えます。本当にそうかどうかはやってみないと解りませんがね。こりゃ旨くすると2〜3年はこのエリア(北佐久郡)で遊べそうな気がしてきました。
まっ、今回は下見みたいなもの? と思って欲をかかないことにします。
中山道と北国街道の宿場町、源平時代から戦国までの村上氏(これは間違い?) の本拠地御牧ガ原、そしてZINさんお勧め道祖神。時間と気分によって上田城ぐらい?
これだけで2日間完全無比のポタリングで遊んでみましょうか。と言うわけで小諸近辺で2泊。なんか古びた良い宿ないかしら?

という「古びた良い宿」2泊3日の2日目の朝は目の前の千曲川を越えて御牧ヶ原へ向かいます。

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と言ってもどこから登ろうか・・・・。

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ラン補・画像掲示板 信州小海線ロングポタ: 賄い岩田 2002.09.07 

画像は NAKAHORIさんに教えて頂いた御牧ケ原です・・・が。
左を見て下さいな、小諸側から見ると断崖絶壁でっせ、これ登るんかいな、とんでもないとこ教わっちゃった。(;-_-X;) 
と思いきや、登ってみたらめちゃ美味しいとこばかり。唯一の不満は・・古い民家があんまり無かったってことぐらい? 
自転車にサドルバックが付いていないのは宿においてきたから。


■No2599に返信(NAKAHORIさんの記事) 
 > 楽しまれたようで何よりでした。崖登りのことは(わざと)忘れてました。すんません。
NAKAHORIさん、いいとこ教えて頂いて有り難う御座いました。(^o^)
標高差は事前に確認はしていたんですが、しかしあの岩壁をまのあたりにするとガーン!でしたね。まあそこをよじ登る訳ではないんですけど。(笑)

望月宿 

御牧ヶ原で道を間違え、快調な下りを楽しんだら中山道の千曲川側。そんでまた中山道の坂を登り、トンネルを越えたらそこは望月でした。

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望月氏

鳥居の先に屋根が見えますが、あれは鹿曲川の岸壁に作られた弁天窟です。今考えると行っておけばよかった。

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その鹿曲川のこっち側、と言うのは望月の市街の東側、鹿曲川の東側の山の麓になるのですが、奈良時代から武田信玄の時代までこの地を治めていた望月氏の菩提寺城光院があります。そこまでは行ったのですが、城山は時間がかかりそうなので諦めました。

望月氏は平安時代末期まではっきりしたことは判りません。はっきりと名が出てくるのは平安時代末期の木曽義仲の頃からで、海野氏同様、木曽軍の中核を成しています。なんせ「牧」、それも常時千五百頭の良馬を飼育放牧していたという信州でも屈指の馬の生産地を支配していましたから。

寿永三年(1183)木曽義仲の子義高が鎌倉の頼朝の元に和睦の為の人質として送られたときに、海野宿で書いた海野小太郎幸氏とともにまだ少年だったろう望月重隆も一緒に義高に随従して鎌倉へ行ったようです。
その後望月重隆は海野幸氏とともに鎌倉幕府の御家人となり、鶴岡八幡宮弓初めの射手にも選ばれて、弓の名手として、海野幸氏、武田信光、小笠原長清らと共に弓馬四天王と称されたのは先に書いたとおりです。

時代は下って戦国時代。川中島の合戦では武田信玄の旗本隊陣容に望月氏の一軍も属していました。そして上杉謙信が単騎武田信玄に斬りかかったと言う逸話のあの乱戦の中で望月盛時は戦死。
男子が無かったので、やはりその戦いで死んだ武田信玄の弟武田信繁の二男信雅が望月盛時の娘と結婚して望月氏を継ぎ、その後甲斐武田氏の滅亡の直後に徳川家康の軍によって滅ぼされます。その時立てこもっていたのが確か菩提寺城光院の後ろの山にあった望月城です。

望月の宿場の町並み

中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場。なんせ御牧の下ですから御牧ヶ原も含めて馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言われます。ほんとかどうかは知りませんが。

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江戸期には、本陣・脇本陣・問屋のほか2 9 軒の旅籠が軒を並べたそうです。これが脇本陣? 

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出桁造りの家

重要文化財 真山家「やまとや」。二階が一階より前にせり出した「出桁造り」ですね。旅篭と問屋を兼ねていたそうです。

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山紫水明会議室の会話

FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」 Date: Wed, 08 Aug 2002

賄い岩田 さん、こんにちは。ZIN@ジモティ−です。

>と。したら「追分けから望月あたりの中山道宿場町なんてどう?」と。おお、それは良いかもしれない。(^o^)

そっちへ行く + ポタだったらお勧めは道祖神巡りですね (^^)/
望月町の入り口にも、道祖神の里って銘打ってあるし名も無い道端にある苔むした道祖神が何とも言えないです。役場へ行けば地図があると思うです。

道祖神の地図は町役場へ行ってらってきましたが・・・、みんな望月宿&中山道からずっと南側。わたしゃ中山道とそこから北の御牧ヶ原方面を当初予定にしていたので断念しましたが。で、帰ってきてから・・・

FCYCLE 山紫水明会議室 「Re: 小海線ロングポタ御報告」 Date: Mon, 09 Sep 2002

賄い岩田 さん、こんにちは。ZINです。

そもそも道祖神は集落の道沿いに作られるものだから南側の蓼科山山ろくの、沢ごとに出来た小さな集落への道沿いにあるんでっせ。御牧ヶ原は、文字の通り朝廷への献上馬のための牧場で台地のために水田にはならず、昔は集落になりにくい地形だから当然少ない(無い)でっせ>道祖神。

>御牧ヶ原は一部しか走っていないんでまた行きたいですね。
う〜む、あそこは畑しかないよ...本当に(笑)
あと見るなら布引観音

では、では
P.S.
もう少し足をのばすと、笠取り峠に上がるところには旧中山道の松並木が残っており、風情があります。(水戸浪士のお墓もあります。)
さらに歴史系で行くのなら塩田平で、鎌倉文化も良いですね。
信州の鎌倉と呼ばれた鎌倉文化ととっても小さな電車、上田交通で鉄分を補給してひなびた温泉>別所温泉...これで完璧

ん? 笠取峠? ちょいと検索

芦田宿と長久保宿の間にあり、旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり、皆いつの間にか笠を取っていることから笠取峠と呼ばれるようになったと言われる。

あぶねええあぶねえ、やっぱZINさん@悪人だ。中山道の難所じゃないかい。(;^_^A
それに「上田交通で鉄分を補給」って、わしは鉄ちゃんじゃないぞい。
でも中山道を辿るなら外せないポイントみたいですね。そのうち行こうかなぁと思いつつ、まだ行っていません。これをまとめ直しているのはそろそろどこかえ行こうかなぁと思っていることもあるのですが。

茂田井間の宿 (もたい・あいのしゅく)

善人な私は悪人ZINさんに惑わされることなく、茂田井間の宿から北国街道経由で小諸も中棚荘に戻ったのですが・・・・。 (ってZINさんのRESは帰ってきてからだけど、笑)

茂田井間の宿への分岐の道標。この道標の傍には今は立て札があってこう書いてあるそうです。

江戸時代、茂田井は望月宿と芦田宿の中間に設けられた間の宿で、文久元年(1861)和宮御下向の際は、十二軒が御弁当宿となった。現在も豪壮な構えの家が立ち並ぶ古色豊かな集落である。

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茂田井間の宿は予備知識ゼロのまま行ったので突然のこの風景に大感激でしたね。
街道に沿って白壁の土塀や土蔵が。そして大門構えの造り酒屋が2軒。

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「茂田井間の宿」は「茂田井宿」とも。「茂田井(もたい)」が地名で「間の宿(あいのしゅく)」は望月宿と芦田宿の間の宿、2次的な宿場? というような意味なんだそうです。

こちらが武重本家酒造

FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ御報告」 Date: Wed, 11 Sep 2002

ZINさん: 望月の隣の茂田井の宿場には、小さな作り酒屋(蔵元)も あります。有名じゃないけど(^^;
武重本家酒造は後で気が付いたんですが日本酒銘鑑の約500の蔵本の中に上がってますね。私は大澤酒造で試飲したら旨かったので「信濃のかたりべ」ともう一本宅急便で送ってもらいました。今飲んでます。旨い。(^o^)
しかし望月宿も茂田井宿もいい感じですね。海野宿よりずっと自然なたたずまいで感動しました。良いところを教えてくれて有り難う。(^o^)/

あっ、茂田井宿はZINさんに教わって行ったんだった。 (,_'☆\ ベキバキ

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サイトはこちら 蔵元発 信州・佐久・中仙道 宿場の地酒 武重本家酒造株式会社
武重家十二代・徳左衛門が明治元年に現在地に酒造の権利を得て開業したそうです。そのときにすでに武重家十二代と言うのだから当地の名家だったのでしょう。それより前の江戸末期、皇女和宮のお輿入れの際、この家も一行の宿、あるいは休憩所になったとか。

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でも申し訳ない。こちらのお酒は飲んだことありません。

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茂田井の民家と通り

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それにしてもこの一角。よくもまあいままでこの景観が残ったものだと。私が行ったのが平日だったからかもしれませんが、通りには人っ子ひとりと言うひっそりとした一角でした。この写真は5年前2002年のものですが、今も同じ景観を保っているんでしょうかね?

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大澤酒造

資料館などを併設している大澤酒造です。江戸時代は茂田井の庄屋を勤めていたとか。お酒も古くから造っていて、元禄二年の創業時の日本最古の酒が保存されていたと言うことです。

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いくつか試飲したら旨かったです。「信濃のかたりべ」ともう一本を宅急便で送ってもらいました。もう一本が「善光寺秘蔵酒」だったのか「明鏡止水」だったのか、全く覚えていません。

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こちらは売店の方に撮ってもらいました。

茂田井から千曲川に北上して北国街道を小諸まで戻ってきました。まあ素直に北国街道沿いではなくて、例によってあっちにクネクネ、こっちにクネクネと裏道を探してですが。途中で塚穴古墳と言うのを見つけました。

小諸城

戻ってきた小諸駅の南に小諸城があります。ここも子供の頃から城郭の本に良く出ていたんですが、行ったのは初めて。

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でもどの本にもこの三の門の写真しか出ていなかったんですよね。その訳が判りました。本当にこれしか無いんです。あとは石垣と堀だけ。

宿・中棚荘の風呂

中棚荘はお風呂がとても好きです。
初めてその別棟のお風呂場に行ったときに手前の待合みたいな軒下で若い浴衣姿の女の子が彼氏を待っている風情。あぁ、ええなぁコンチキショウ!

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冬場はリンゴ湯をやっていて、翌年の3月には娘を連れて行きました。

2007.04.25記