わびさび2世号 信州小海線ロングポタ.4日目 02.09.05 |
という「古びた良い宿」2泊3日の2日目の朝は目の前の千曲川を越えて御牧ヶ原へ向かいます。 と言ってもどこから登ろうか・・・・。 ラン補・画像掲示板 信州小海線ロングポタ: 賄い岩田 2002.09.07 望月宿御牧ヶ原で道を間違え、快調な下りを楽しんだら中山道の千曲川側。そんでまた中山道の坂を登り、トンネルを越えたらそこは望月でした。 望月氏鳥居の先に屋根が見えますが、あれは鹿曲川の岸壁に作られた弁天窟です。今考えると行っておけばよかった。 その鹿曲川のこっち側、と言うのは望月の市街の東側、鹿曲川の東側の山の麓になるのですが、奈良時代から武田信玄の時代までこの地を治めていた望月氏の菩提寺城光院があります。そこまでは行ったのですが、城山は時間がかかりそうなので諦めました。 望月氏は平安時代末期まではっきりしたことは判りません。はっきりと名が出てくるのは平安時代末期の木曽義仲の頃からで、海野氏同様、木曽軍の中核を成しています。なんせ「牧」、それも常時千五百頭の良馬を飼育放牧していたという信州でも屈指の馬の生産地を支配していましたから。 寿永三年(1183)木曽義仲の子義高が鎌倉の頼朝の元に和睦の為の人質として送られたときに、海野宿で書いた海野小太郎幸氏とともにまだ少年だったろう望月重隆も一緒に義高に随従して鎌倉へ行ったようです。 時代は下って戦国時代。川中島の合戦では武田信玄の旗本隊陣容に望月氏の一軍も属していました。そして上杉謙信が単騎武田信玄に斬りかかったと言う逸話のあの乱戦の中で望月盛時は戦死。 望月の宿場の町並み中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場。なんせ御牧の下ですから御牧ヶ原も含めて馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言われます。ほんとかどうかは知りませんが。 江戸期には、本陣・脇本陣・問屋のほか2 9 軒の旅籠が軒を並べたそうです。これが脇本陣? 出桁造りの家重要文化財 真山家「やまとや」。二階が一階より前にせり出した「出桁造り」ですね。旅篭と問屋を兼ねていたそうです。 山紫水明会議室の会話FCYCLE 山紫水明会議室 「小海線ロングポタ計画」 Date: Wed, 08 Aug 2002 道祖神の地図は町役場へ行ってらってきましたが・・・、みんな望月宿&中山道からずっと南側。わたしゃ中山道とそこから北の御牧ヶ原方面を当初予定にしていたので断念しましたが。で、帰ってきてから・・・ FCYCLE 山紫水明会議室 「Re: 小海線ロングポタ御報告」 Date: Mon, 09 Sep 2002 ん? 笠取峠? ちょいと検索。 芦田宿と長久保宿の間にあり、旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり、皆いつの間にか笠を取っていることから笠取峠と呼ばれるようになったと言われる。 あぶねええあぶねえ、やっぱZINさん@悪人だ。中山道の難所じゃないかい。(;^_^A 茂田井間の宿 (もたい・あいのしゅく)善人な私は悪人ZINさんに惑わされることなく、茂田井間の宿から北国街道経由で小諸も中棚荘に戻ったのですが・・・・。 (ってZINさんのRESは帰ってきてからだけど、笑) 茂田井間の宿への分岐の道標。この道標の傍には今は立て札があってこう書いてあるそうです。 江戸時代、茂田井は望月宿と芦田宿の中間に設けられた間の宿で、文久元年(1861)和宮御下向の際は、十二軒が御弁当宿となった。現在も豪壮な構えの家が立ち並ぶ古色豊かな集落である。 茂田井間の宿は予備知識ゼロのまま行ったので突然のこの風景に大感激でしたね。 「茂田井間の宿」は「茂田井宿」とも。「茂田井(もたい)」が地名で「間の宿(あいのしゅく)」は望月宿と芦田宿の間の宿、2次的な宿場? というような意味なんだそうです。 こちらが武重本家酒造
あっ、茂田井宿はZINさんに教わって行ったんだった。 (,_'☆\ ベキバキ サイトはこちら 蔵元発 信州・佐久・中仙道 宿場の地酒
武重本家酒造株式会社 でも申し訳ない。こちらのお酒は飲んだことありません。 茂田井の民家と通りそれにしてもこの一角。よくもまあいままでこの景観が残ったものだと。私が行ったのが平日だったからかもしれませんが、通りには人っ子ひとりと言うひっそりとした一角でした。この写真は5年前2002年のものですが、今も同じ景観を保っているんでしょうかね? 大澤酒造資料館などを併設している大澤酒造です。江戸時代は茂田井の庄屋を勤めていたとか。お酒も古くから造っていて、元禄二年の創業時の日本最古の酒が保存されていたと言うことです。 いくつか試飲したら旨かったです。「信濃のかたりべ」ともう一本を宅急便で送ってもらいました。もう一本が「善光寺秘蔵酒」だったのか「明鏡止水」だったのか、全く覚えていません。 こちらは売店の方に撮ってもらいました。 茂田井から千曲川に北上して北国街道を小諸まで戻ってきました。まあ素直に北国街道沿いではなくて、例によってあっちにクネクネ、こっちにクネクネと裏道を探してですが。途中で塚穴古墳と言うのを見つけました。 小諸城戻ってきた小諸駅の南に小諸城があります。ここも子供の頃から城郭の本に良く出ていたんですが、行ったのは初めて。 でもどの本にもこの三の門の写真しか出ていなかったんですよね。その訳が判りました。本当にこれしか無いんです。あとは石垣と堀だけ。 宿・中棚荘の風呂中棚荘はお風呂がとても好きです。 冬場はリンゴ湯をやっていて、翌年の3月には娘を連れて行きました。 2007.04.25記 |