釈迦堂切通の道   安養院

その上行寺の斜め前、左側に5月頃になると躑躅で目を引く安養院があります。鎌倉三十三所観音霊場第三番札所になっています。

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北条政子が頼朝の菩提寺として建てたと単純化して言われることもありますが、政子が頼朝の菩提寺として建てたのは長谷の近くの旧前田侯爵邸のある笹目ヶ谷で長楽寺と言います。

そしてここは「善導寺」と言う浄土宗の寺でしたが、1333年の北条氏滅亡の時、この大町付近はかなりの激戦地で、その戦火で両方とも焼失しました。

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そこで「長楽寺」と「善導寺」の2つの寺をあわせて「安養院」としましたが、江戸時代に再び消失。そこで同じ大町の比企ガ谷にあった「田代寺」の観音堂を移して再び再建したので、正式には「祇園山安養院田代寺」という名前になっています。「安養院」は北条政子の法名だったと思います。そうでした、安養院如実妙観大禅士。

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こちらも小さなお寺ですが、良い処です。山門から左手、下の写真では右のお堂は日限地蔵で、決まった日数内に願いを叶えてくれるから日限なんだそうです。政子が頼朝と結ばれたことにちなみ、恋愛成就のご利益があるというそうですが。・・・北条政子ね〜、う〜ん。
地蔵脇、写真では手前の槙の巨木は樹齢700年の天然記念物だそうです。

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本堂裏に2基の宝篋印塔があります。下の写真の奧のものです。
右が善導寺の開山の浄土真宗名越派開祖尊観上人の墓といわれるもので鎌倉で最も古い宝篋印塔で「徳治3(1308)年」の銘があります。国の重要文化財だそうです。 

左は北条政子の供養塔といわれますが当然定かではありません。「北条政子が建てたんだから政子の墓があってもおかしくない」と言うことからでしょうが、北条政子が建てた寺には寿福寺もあるし、あちらにも伝北条政子の墓があります。

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脇に並んでいるのはそれほど古くは無いのですが、なかなか風情があります。
そうそう「古くは無い」ってのは鎌倉感覚です。鎌倉時代ってもう7〜8百年も昔のことですからね。

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