釈迦堂切通の道  田楽辻子(でんがくずし)

喫茶店「古典派」の先を右にちょっと行った最初の十字路に例の鎌倉青年団の史碑がありました。田楽辻子が書いてあるんでしょうか?

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ちがいました。「上杉朝宗及氏憲邸址 」でした。

朝宗は足利氏満 満兼に歴任し入道して禅助と号す 人称して犬懸の管領といふ 其子氏憲 嗣て持氏の執事となり 入道して禅秀と号す 然るに後 持氏と隙あり 応永廿三年 氏憲は持氏の叔父満隆と謀り 満仲を奉じて兵を起せしも遂に敗れ 翌年正月 一味 と共に雪ノ下の鶴岡別当坊に自尽す 此処は即ち其の邸なり

管領(かんれい)って:将軍の代理職のことですが、ここでは関東管領で鎌倉公方の補佐役ですね、代表権のある副社長みたいなもの。鎌倉公方は京都に居た足利尊氏の次男基氏を初代とし、足利将軍の関東における代理として関東十ヶ国に加え陸奥国・出羽国を管轄しましたが、4代持氏の代になって、京都の幕府と対立するわ、この史碑にあるように補佐役の関東管領とも戦争をおっぱじめるはと色々問題があった人です。で、そのときの戦争の相手の上杉朝宗の屋敷がこのあたりにあったのだとか。
この史碑の方に、コースの進行方向右、写真では左に曲がると衣張山です。その向にあるのが「田楽辻子(でんがくずし)」の標識とその説明板?です。

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これがその由来。「辻子」は「つじこ」ではなくて「ずし」です。私も注意しないとよく「つじこ」と読んでしまうのですが。(;^_^A アセアセ…

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その十字路の反対側にこんな看板が。わたしや笑っちまいましたね。
「あ〜た、鎌倉なんて山の近くは何処を掘ったって墓地でっせ。矢倉もありゃみんなお墓でっせ。発掘調査をしたってほとんどのところが墓地・・・は良く解らないけど火葬場が出てくるんでっせ。怖いのは古い墓地でしょ、何言ってんのよ! 住民のエゴじゃない?」
ってね。

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ところが・・・・、う〜ん、そういうことか、「怖い墓地」って幽霊が怖いんじゃないのか、これって地元のお寺が墓地を作るんじゃなくて、東京のお寺が墓地だけここに持とうってのか。変な話しだなぁ。この絵からすると衣張山に墓地を作ろうってのかい? 
とんでもない話しだなぁ。そういうことなら私も反対。フキフキ "A^^;

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さて、その脇の露地に入ってみましょうか。ん? なんか仲の良さそうなカップルが手をつないで歩いてくるではないですか。むかつくから止めて真っ直ぐ行きましょう。(`ヘ´)

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まあ、どこにでもあるようなただの路地裏なんですが、私はこの田楽辻子(でんがくずし)は好きですね。

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まっすぐ行くと道は左に、でも真っ直ぐにも細い道があります。こうなるともう本能的に細い道に突っ込んでいってしまいますね。(笑)

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おお、段々と細くなるではないですか。よきかなよきかな。
あたしゃこういう道好きです。 (*^,^*)

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ん? なんか開けたところに出ました。なんでしょう?

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