裏から見た宝戒寺
宝戒寺の脇から裏に廻ってみました。
真新しい建物が。これが門脇の看板に再建予定と有った書院・客殿でしょうか。
真新しい竹垣は多分数ヶ月も経ってはいないのでしょう。
滑川の宝戒寺橋
宝戒寺の竹垣にそって進むと滑川にかかる宝戒寺橋があります。
鎌倉紅葉山自治会の碑があります。
この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北条執権邸」内にあり、平成13年(2001年)の
NHK大河ドラマ「北条時宗」(1251〜84年)生誕の地ともいわれ、文永・弘安の役の
二度にわたる蒙古襲来を撃退、”神風”とともに、日本の歴史に大いなる名跡を残しました。 滑川(全長5.6km)は、朝比奈峠を源流とし、”せせらぎ”の音とともに、なぜか、
多くの文人墨客が好んで暮らしたまちをゆったりと流れ、由比ガ浜にたどりつく −鎌倉ならではの古都のたたずまいと、由緒ある文化の薫りが、ここからも
うかがわれます。 河床をなめるように流れている −というのが滑川の由来のようですが、建設省、
神奈川県、鎌倉市、財団法人砂防フロンティア整備推進機構は、平成7年「滑川
渓流再生事業検討委員会」(地域内の自治・町内会長を中心に各界各層の学識経験者
で構成)を設置。上流の華の橋から寶戒寺橋下流までの1.5kmの渓流環境を再生。
「かまくら景観百選」に選定されている当地域は、滑川再生事業の重点地域として、
全国”まちのせせらぎ”のモデルにもなっております。また、歴史的風土特別保存
地区だけに、寶戒寺橋から眺める”せせらぎ”滑川の四季おりおりの景観、若宮
大路や鶴岡八幡宮のにぎわいとは無縁の静寂、それに、鎌倉唯一のライトアップ
に浮かぶ史跡「紅葉山やぐら」の幻想的夜景は、まことにみごとなものです。
せせらぎの 川面にゆれる 木もれ月 白 萩
神 奈 川 県 鎌倉紅葉山自治会
あちらに見えるのが東勝寺橋です。それはまた後ほど。
紅葉山やぐら
最初にこれを見たときは「なんてことするんじゃ!情緒もへったくれもない!」と思ったのですが、そもそも崖崩れで発見されたんだそうです。そういうことなら判りますね。
史跡「紅葉山やぐら」は、昭和10年(1935)に発見され、五輪塔や納骨、それに"海蔵寺十六井"と
全く同じものが出土しておりますが、その時代考証からも、北條執権ゆかりの納骨といわれております。
平成11年(1999)の大崩落後の神奈川県教育委員会の調査でも"十六井"が再確認されています。
鎌倉付近では、山腹の岩(第三紀層の凝灰岩質)をくりぬいて作った穴を「やぐら」と呼んでおり、
鎌倉時代から室町時代における上層階級の墳墓とされております。 この奥にある穴は、第2次世界大戦時の防空壕の跡ですが、
鎌倉西口駅前公園にあるラングドン・ウォーナー博士(1881-1958、米国)の顕彰碑にもあるとおり、
若かりしころ、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に留学、
岡倉天心に私淑した同博士(テオドル・ルーズベルト大統領の女婿)は「文化は戦争に優先する」と、
京都・奈良・鎌倉の三古都を中心に「日本の重要文化財リスト」を作成。 そのおかげで、多くの重要文化財が戦禍から救われました。
この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北條執権邸」(歴史的風土特別保存地区)内にあり、
平成13年(2001)のNHK大河ドラマ「北條時宗」(第8代執権・1251-1284)生誕の地ともいわれ、
文永・弘安の役の二度にわたる蒙古襲来を撃退。 "神風"とともに、日本の歴史に名跡を残しました。 もののふの 諸行無常の 鐘の声
永久に眠らぬ 紅葉山やぐら 萩村
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