鎌倉の梅 2006/3/21 瑞泉寺の梅と歴史 |
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瑞泉寺の歴史瑞泉寺は鎌倉時代末期の嘉暦2年(1327年)に鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊(どううん)が夢窓疎石を開山として創建した寺で当初は瑞泉院と号し、鎌倉時代には鎌倉中の禅寺の住職や僧侶が集まり、五山文学の拠点として栄えました。夢窓疎石は建長寺、円覚寺の住持も努めています。 夢窓疎石には足利尊氏も帰依しており、足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏も夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めたそうです。足利基氏がここに葬られてから関東公方家の菩提寺となり、鎌倉公方足利氏4代の墓の五輪塔があります。 また鎌倉五山に次ぐ十刹(じっさつ)に名を連ね、一般には十刹の筆頭と言われます。鎌倉33観音第6番。鎌倉24地蔵第7番とか。「鎌倉五山と関東十刹」については明月院の禅興寺跡 のページをご覧ください。 瑞泉寺は、文学や学問とゆかりの深い寺で、かつて五山文学の拠点だった他に、近世には徳川光圀がここで『新編鎌倉志』の編纂をさせたと言います。また境内には、高浜虚子、久保田万太郎、吉野秀雄、大宅壮一、吉田松陰などの碑があります。 瑞泉寺の梅話しは戻って、こちらは瑞泉寺の入り口、料金所です。紅白の梅が見事でした。 その先の参道を石段のあたりから振り返ったところです。 白い梅とピンクの梅が綺麗です。 あれ? あのピンクの花は桜かい? ・・・見なかったことにしましょう。 梅と・・・、なんだっけ? 白と黄色の饗宴が綺麗でした。 如何にも「梅〜!」って光景ですね。こうでなくてはいけません。 |
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