流鏑馬総集編 2006  例大祭小笠原流の流鏑馬 09.16

9月16日は、鎌倉の鶴岡八幡宮例大祭の最終日です。その最終日には流鏑馬神事が。

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鶴岡八幡宮の流鏑馬は4月と9月の2回、4月は武田流で、9月の鶴岡八幡宮例大祭の流鏑馬神事は小笠原流です。武田流のときは日曜日にやりますので毎年見ようと思えば見れるのですが、9月の例大祭・流鏑馬神事は何曜日であろうが構わず9月の16日。

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だもんで私が小笠原流の流鏑馬を見たのは4年前の1回だけ。あのときは雨でした。
まあ、神事だから致し方ありませぬ。


今年の諸役は鎧兜も。これは初めて見ました。4年前は雨だったから出さなかったのですかね? 大鎧は無かったですが。

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私が陣取ったのは奉行所の真ん前。なにせ私も以前は焚火奉行と言われておりましたので。えっ、関係無い? (,_'☆\ ベキバキ

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流鏑馬神事は3騎で1回だけやるようです。その3騎の装束は鎌倉時代の様式に則り、弓も重藤の弓、いつもは鶴岡八幡宮に保管されていて、この流鏑馬神事のときだけ使われるとアナウンスが有ったような。こちらが壱の射手。

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弐の射手。流鏑馬神事の3人の射手の装束は、「あげ装束」と言われるそうで、鎌倉時代の狩り装束そ儀礼化したものです。

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頭に引立鳥帽子(ひきたてえぼし)、その上に綾蘭笠(あやいがさ)を被ります。着ているのは鎧直垂(ひたたれ)、射篭手、夏鹿毛(なつかげ)の行縢(むかばき):カーボーイのローハイドと同じ)を履きます。足には皮足袋に物射沓(ものいぐつ)。弓は重藤の弓。実は実戦向きではないんだそうです。矢は箙(えびら)に鏑矢が6本差してありました。


的です。先導する童は男の子ですが、この装束は可愛いですね。ちなみにこの流鏑馬の馬場を埒(らち)と言い、巾は弓一杖。此方側(的側)のロープが男埒(おらち)、向こうの奉行所側のロープが女埒(めらち)と言うそうです。男埒と女埒の間を「さぐり」とも言い、ここを馬が走ります。埒(らち)はその総称でしょう。 「らちがあかない」というときの「らち」というのは、この「埒」からきているそうです。つまりコースがふさがってて前に進めないと。

「吾妻鏡」に流鏑馬が初めて出てくる文治3年の8月9日の条にこうあります。

鶴岡宮中殊に以て掃除す。今日馬場を造り埒を結う。仍って二品監臨し給う。若宮の別当法眼参会せらる。常胤・朝政・重忠・義澄以下御家人群参すと。

おそらくその1年前の8月15日に藤原秀郷流の嫡流で北面の武士であった西行から、頼朝が聞いた近衛府より京武者へと受け継がれた流鏑馬神事の式次第、作法に則ってのことではないでしょうか。

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目の前の奉行所(記録所)に向かって右端が馬場元、左端が馬場末。その距離は140間(約255m)あり、的は3つです。その的は流鏑馬では、正方形の一片が一尺八寸(約55センチ)。 騎射挟物は一尺五寸(約45センチ)とちょっと小さくなります。


参の射手は小笠原常春・源の朝臣茂元と紹介されました。
「小笠原」が名(みょう)、 「源」が氏(うじ)、「朝臣(あそん)」が性(かばね)です。でも以前は朝臣(あそん)も付けていたんだけど、今年はどうだったかなぁ。ちょっと記憶が曖昧。
小笠原氏は正しく源氏ですね。八幡太郎源義家の弟新羅三郎義光の子孫で甲斐源氏です。
この方が小笠原流宗家の御曹司でしょうか。あれ? もうお一方小笠原清基さんが挟物の最後にでてきましたが、そちらが御曹司の様です。そのご兄弟?

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総奉行はかなりお歳を召した日本画家の方。中央参道のあたりで「流鏑馬神事初めませ!」と言われて壱の射手が馬場元・扇形(スタート位置)に赴くところです。

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しかし小笠原流のときは一般の観客は最悪です。的の見えるところは全て招待客の客席。それも3種類+小笠原流関係者+幼稚園関係者席。目の前はその中でも一番上の特別招待席。

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ちきしょう、こんにゃろう! と思って恨めしそうに横目で見ていたら、着物の娘さんにお子さん達が。それがあんなちっちゃい子まできちんと着ていて、あんなにじゃれていてもそれほど着崩れしません。着慣れている+着付けが良いの? うん、あなた方は許す。(笑)

つづく