鎌倉の秋2006.1105 円覚寺正続院・国宝舎利殿 |
宝物風入れに合わせて国宝の舎利殿も特別公開されました。いつもはここまでも入れず、門のところから舎利殿の屋根だけを遠くに見ることができるだけなのですが、今日だけは中に入れます。 右側が円覚寺の専門道場、お坊さんの修行の場所だったと思います。 これって唐門様式って言いましたっけ。 その唐門から見る舎利殿の屋根。この日だけはこの中にも入れて頂けてるのですが、門の中は撮影禁止です。 舎利殿とは仏様の遺骨を納めたところで、三代将軍源実朝が宗の能仁寺から請来され、大慈寺(廃寺)に安置していたものを、1285年(弘安8年)に北条時宗の子北條貞時が一門の守護を願って円覚寺に遷祀したものだそうです。なおこちらにあるのは仏陀の歯だそうです。 その最初の舎利殿は永禄6(1563)年12月23日の大火で消失し、現在の舎利殿は鎌倉にあった太平寺(尼寺の五山一位:廃寺)の佛殿を移築したものだそうで鎌倉時代末から室町初期のものと言われています(詳しくはこちらを )。鎌倉時代かも? と言う建物はたしかこれだけだったような気がします。 建物自体は尼寺の五山一位の仏殿だったのに、思いのほか小さいのですが南北朝時代前後の頃はこれでも大きな方だったのでしょう。舎利殿の全体像はいくつかのサイトに小さく出ていたりしますが、お寺で売っている前鎌倉国宝館館長の貫達人氏著「円覚寺」と言う小冊子に奇麗な写真が載っています。 しかし、年に1〜2度、お釈迦様の遺骨に直にお祈りが出来ると言うのに、割とみなさん「へ〜」と眺めるだけでもったいないですね。 江戸末期の天明年間に円覚寺の復興に力を尽くし僧堂・山門等の伽藍を復興した大用国師によって開かれた僧堂、座禅の専門道場がこの門の向こうです。 板に木槌がぶら下がっていますが、あの分厚い板、以前に見せて頂いたときは もうちょっとで穴が開くか と言うぐらいだったのですが、取り換えられたようですね。 こちらが正続院。開山仏光国師無学祖元禅師の塔所です。この茅葺屋根は今年の3月に葺き替えをやっていました。 無学祖元禅師は中国の高僧で北條時宗の招請で日本に来て、弘安5年に円覚寺を創建。北条時宗が死んだ1284年の12月に円覚寺を退いて建長寺に移り,その2年後の1286年(弘安9)9月3日に61歳で亡くなりました。朝廷から仏光禅師と勅諡されました。 禅師の塔所は最初は建長寺にありましたが、1335年(建武2)に夢窓疎石が後醍醐天皇の勅使でここ円覚寺に移しました。それもあって室町時代にはここ円覚寺と建長寺は険悪な関係になったようです。 その向かいには古い蔵が。もしかして宝物風入れの品々はここに保管されていたのでしょうか? いや、ただの想像ですが。
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