西上州道普請.5.2   旧十石峠街道(下)   07.05.04

それにしてもこの落ち葉の量、タイヤが半分まで埋まってしまいます。この落ち葉はどうなるんでしょうね。梅雨時の雨で腐葉土になる?

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このあたりは当時私たちはほとんど作業をしていません。白井の集落に近くなるので昔からさほど荒れてはいなかったのです。ところでこのあたりに石仏が有ったはず。

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有りました。水の湧く岩の小さ穴の前に、枯葉に埋もれて。確かにここだ。

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と言うことはY沢さんか滑落したのはここか! 

西上州峠道踏み固めのツーリング 1998年12月、やまびこ荘でのアルプス・サイクルフレンズの忘年会ランに山サイ研の方々と一緒に我々も小海駅から栂峠を越えて合流。この旧道を通ったのですが、後ろで「アッ!」と言う声が。振り向くと彼が落ちていく最中。幸いにしてゴロゴロとではなくて大の字になって斜面に腹ばいにずり落ちていたのですが、5mか10mぐらいで止まったのかな? 

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で斜めに這い上がってきたその目の前にこの石仏が。

本人はギョっとしたと言っていましたが、落ちたにしてもあの腹ばい大の字になって途中で止まれたのはこの石仏のご加護だったのかもしれませんね。もんどり打って下まで落ちていったら擦り傷ぐらいじゃ済まなかったんですから。それ以来私はここを通るとちゃんと手を合わせることにしています。それにしてもここの路肩。今ではちゃんと石組みがされて崩れないようになっていますね。


そこからしばらく行くと展望も開けて、更にそのすぐ先には急な登りが・・・・

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と思ったら・・・、あれ? そんなに急じゃない。気のせい? いやこれは少なくとも2mは掘り下げてあるんじゃないでしょうか。ここの石はまるで石灰の様でした。

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そこからすぐに白井の集落のような気がしていたのですが、実はそこそこの距離はあったようです。

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やっと白井の集落です。

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白井宿の西の端にある水上神社。江戸時代にはこのあたり、たぶんこのちょっと下あたりに信州の大日向村から十石峠、あるいは相木村から栂峠を越えて運びこまれた米やらなんやらで市が立っていたそうです。この神社は白井宿とその市の守り神であったのでしょう。

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私は市が立つとしたらこのあたりかと。いや、現在の地形からの推測で確かな証拠はありませんが。それにしても5月なのに見事な花桃が。

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振り返るといかにもな山里の風景。良いですねぇ。

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こちらは見事な枝垂れ桜。5月なんですけどねぇ。(笑)

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こちらは白井の集会場。八重桜ですね。そして石垣の上の庚申塔や石仏がここが古くからの街道であったことを示しています。このあたりに江戸初期から関所があったはずですが、はっきりとした場所は分りません。

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その白井の集落は実は神流川(かんながわ)からかなり高い位置にあります。さっきの水上神社のあたりで735mぐらい。直線距離600mぐらいのこの下の橋が600mぐらいですからこの下りもかなり急坂というのがお分かりになるでしょう。私はいつもこれを下ります。これを登る逆ルートなどとる気は全く起きません。(笑)

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という標高600mの上野村・砥根平の橋です。
本来砥根平から武道峠へ向かう道はこの道(逆向きだけど)だったのですが、日航機事故の御巣鷹山へ行く道を兼ねて神流川の対岸(写真の右方向)に新道ができています。でもサイクリストとしてはやはりこの道ですよね。別に旧道派ではなくとも。

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その砥根平で3人の同年代のサイクリストとお会いしました。
実は奈良の伊藤さんがこの日に下仁田から大上峠を越えて十石峠、そして上野村の宿まで走る予定だったのです。残念ながら体調不良で来られなくなってしまいましたが、こちらはその伊藤さんが一緒に走るはずだったお友達。

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本当は4人おられたのすが、先頭の方はアッと言う間にもう通り過ぎ、やっと後続の方に気付いてもらったと言う次第。どちらかのサイクリングクラブの方かと思ったら、そういうことでもなくて気のあった少人数の仲間で走っておられるんだそうです。そういうのも良いですねぇ。

しばらくお話をしたあと、「乙母の宿はどうせすぐそこだからこっちを通ったってたいして変わらないですよ」 とそそのかして(笑)、旧道を旧黒沢家までご一緒しました。