飛騨高山 2009.4.11-12 上三之町を南から |
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上三之町の南端さて、早朝は北の宿の方から上三之町をご覧に入れましたので、朝食後の上三之町は南から。
これには深い訳があるので御座います。朝食はこの南の突き当たりの右手、高山陣屋の前だったので御座います。だから朝食後は南から始まるのが自然な流れ。でしょ? 尚古堂こちらのお店は左側。あれ? 暖簾(のれん)の紋は日枝神社の紋の模様に似てません? 飛騨風味・角一(味噌)このお店は有名みたいですね。観光案内にはよく出てきます。 本舗飛騨さしこ二人とも消えてしまいました。何だ? ありゃま、店の中に入ってるぜ。女どもは好きだねぇ、店を覗くのが。ん? あれ? こ、この店はもしや、と思って私も入ってみたら・・・、思わず目頭がジーンで御座いました。40年前に私はこの店に入っているんです。40年間まったく変わらず、まったく同じ物を売っていました。 これで御座いますよ。 何年かしたら糸が切れてしまいましたが、その鳥のさしこ、まだ実家にあります。 山車・原田酒造ありゃ、また入っていくぜ。こちらは造り酒屋さん。「山車」は「やまぐるま」ではなくて「だし」で御座います。えっ違う? どれどれ、失礼を致しました。お酒の名前は「さんしゃ」で御座いました。 中に昔に使っていた醸造の大樽が。 しかし入ってみるだけでは満足できないというのが私の連れ。ふと気がつくと、奥で試飲1杯100円だったか、200円だったか、300円だったかのお酒を飲んでいるではありませんか。やれやれ。 もっとも私も向かいの別の造り酒屋さんで試飲しましたが。(。_・☆\ ベキバキ その天井を見上げると・・・、こういう飾り物は私はあまり好きではないのですが、でもなんとなく侘びていて、良い感じですね。で、その中にお約束の「さるぼぼ」が。 人が居なくなった瞬間を狙って、さっきの大樽をパチリ。あれ? 気がつかなかったけど、その脇にもの凄い大釜が。なんでしょ、これ。「夏子の酒」で調べなきゃ。あっ、今は「蔵人」か。 反対側の天井にはあの神棚が。こちらの蔵は江戸末期安政二年(1855年)創業らしいのですが、でも明治8年に少なくとも下三町から桜山八幡にかけて大火があり、それ以前の建物は残っていないんです。でもこのあたりは良く解りません。この建物はいつ頃からのものなんでしょう? 建て方は江戸時代後期とほとんど変わらないかと。 中にも杉玉が。酒林(さかばやし)とも呼ばれます。元々は酒の神様に感謝を捧げるものとか。 ところでこの翌日。2日目の帰る間際に、娘はここで友達にお土産のお酒を・・・。 舩坂酒造そのお向かいもまた舩坂酒造という造り酒屋さんです。おっ、杉玉が二つ。 するとあのちっちゃい方の杉玉は「新酒が出来たよ」。上の茶色の大きいのは「古酒もあるよ」って? どうなんでしょうね。 このように差し向かいで。造り酒屋さんかどうかは町を歩いていれば遠くからでも判ります。軒下の杉玉が目印。 左側の2階が白壁の土蔵はどこだか最初は判らなかったのですが、どうも舩坂酒造さんの倉のようです。 久田屋左が久田屋さん。お食事屋さんです。店の中の雰囲気が昔のまんまでなかなかよいので、今晩はここで夕食ってのも良いなぁ、と思って聞いてみたら・・・。お昼の3時までだって。(^_^;) 訂正いたします。お食事屋さんではなくて昼食屋さんでした。まあねぇ、6時過ぎたら、この通りほとんど人なんか居なかったもんね。ところで、1階の軒に藤蔓が絡まっているのがお判りになると思いますが、もう少したつと藤の花が綺麗なんでしょうね。 味噌屋のます井と版画堂南からあるいてもう目の前は三町辻ってとこですね。右下の看板を見てください。「歓迎・あんきにはいってくんされ」だって。このあたりの方言なのでしょうか。「あんきに」は「安気に(お気軽に)」なんでしょうね。 古渓谷堂前から南の町並それを通り過ぎて、もうここは三町辻を背に、今来た通りを振り返ったところ。 連れと娘が戻っていくのは、戻っていくのではありません。実はこの写真、翌日の12日で、朝ご飯を食べに陣屋の方に行く途中なんです。だから娘の着ているものの色が違うでしょ。 |
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