2009.09.16 例大祭・流鏑馬神事 |
9月15日16日は鶴岡八幡宮の例大祭、二日目の16日は小笠原流一門による流鏑馬神事。 鳥居の提灯の下に掛けてあるのは海草です。例大祭に先立ち14日の早朝の日が昇る頃、「浜降り式」と言って宮司以下神職の皆さんは由比ヶ浜辺において禊(みそぎ)をし、その浄めのしるしとして藻塩草(海草)を持ち帰って社頭に掲げるんだそうです。 おや? 平家池にはまだ蓮の花が咲いていた。おっと、それどころじゃない。早く行かねば。 待つこと2時間半。というか、もっと早く行かなきゃ席が取れない。今年は招待席じゃないんでね。 射手は鎌倉時代のあげ装束といわれる武士の狩装束。今回は装束を中心に。流鏑馬神事の開始は1時なんですが、馬場に姿を現すのは2時前です。射手と諸役は一旦馬場元へ赴き、それから場場末に移って控えます。 おや、一人徒で戻って行きます。忘れ物? 腰の箙(えびら)に鏑矢を刺しています。藤原氏の紋「下り藤」がついていますね。弓は重藤(しげとう)の弓、なのかなぁ。足に鹿皮の行縢(むかばき)を付けています。 拡大してみましょう。流鏑馬に用いる鏑矢は雁又矢と言って、鏃(やじり)が二股に分かれています。 戻ってきました。弓を持つ左手に付けるのは射籠手。この方は同系色なんで左右同じに見えるかもしれませんが。上の写真と見比べて下さい。柄が違うでしょ。 腰には太刀。江戸時代のお侍さんがさしているのは刀で、実は太刀と刀は全く別物。刀の古いのが太刀という訳ではないそうです。足に履いているのは足袋ではありません。物射沓(ものいぐつ)と言います。 射手と諸役が控える馬場末に戻り、開始の命が下ったことを伝えます。 そして射手は騎乗し、諸役、雑色とともに馬場元へ。 そして流鏑馬の開始。まずは一の射手。 二の射手、三の射手は上手く撮れませんでした。みんな身を乗り出すんだもん。(泣) その後に騎射挟物と言って、江戸時代の軽装での騎射が行われます。本当は十人ぐらいやってるんですけど。 一人が終わると、的の交換です。場場末から準備完了の合図。デッカイ扇ですねぇ。始まる前に、隣の女性組に赤に金の日の丸の扇と言っちゃったのですが・・・、 ヤベぇ、そりゃ春の武田流だった。カッコ悪!(;^_^A アセアセ… あれ? 今年は最後にまた最初の三騎が。最後の最後にやっと引き絞っている処が撮れました。 ふ〜、これでなんとかカッコがつく。(^_^;) 射た直後です。 全てが終わって、諸役共々馬場元に引き上げていきます。 全てが終わって、記念撮影みたいです。箙(えびら)に鏑矢が刺っている処が初めて見れました。中はああなってるんだぁ。 中央の灰色の着物の方が鎌倉時代は頼朝の頃から武田信光(石和信光)、海野幸氏、望月重隆らと共に弓馬四天王と称された甲斐源氏の小笠原長清の流れをくむ小笠原家の当主。31代小笠原清忠氏だと思います。その左隣から流鏑馬の射手の三人。白い着物の方が鶴岡八幡宮の宮司さんです。 星冑を被っているけど、これ、胴丸ですよねぇ、大鎧じゃないと思うぞ。 そのあと本殿にお参りして、御神籤を。「吉」か、こないだよりアップしたな。良い場所が取れなかった分これで勘弁してって? まあ許してやろうか。ん? 「慎みを失えばそむかれます」。げっ! あれ? あのお嬢さん、隣に居たお嬢さんじゃない。 そのあと源氏池の休憩所で、恒例のソフトクリームを食べ・・・ 遅いお昼は「五島」で天丼です。ひさしぶりだなぁ、ここに来るの。 美味しゅう御座いました。(てなおばちゃんが昔いたなぁ) |