鎌倉の秋 2009.11.01 円覚寺・宝物風入と舎利殿 |
円覚寺・龍隠庵の鎌倉巡空 円覚寺・宝物風入と舎利殿 秋の円覚寺・黄梅院 さて、肝心な宝物風入の第一会場はこちら。 こちらは方丈の唐門。普段は通れません。 でも、今日は、普段は通れない唐門からご入場です。これは裏側から。 唐門の正面が方丈なのですが、入り口はその右側。宝物風入が行われているのはこの中です。 でも中は撮影禁止。というか、入り口で荷物を預けてしまいます。毎年同じものが同じところに掛けてあるのですが・・・、あっ、地獄絵は一番最初のときは違ったなぁ。その地獄絵って、字の読めない農民なんかに、罪を犯すと死んでからこういう苦しい目に遭うんだよ、とまあ道徳教育の為に使ったと昔お年寄りのお坊さんに教えて頂きました。でもヨーロッパの地獄絵と違って、日本のそれは地獄絵なのになんかほのぼのしてるんですよね。それがちょっと面白い。 方丈の後庭ではほんのりと紅葉が。この木が一番早いんです。毎年ね。 さて、第二会場も普段は入れないところ。円覚寺開山・無学祖元(仏光禅師)の塔所、正続院。 でも今日に限っては俗物な私でも入れてもらえます。ほれ、その証拠に内側からの写真。 正続院の屋根は藁葺き。25年に一度吹き替えをするんだそうです。何年前だったかなぁ、やってました。 こちらが普段の玄関。 その向かいには昔からの倉が。 そしてこちらが正式な玄関? そうそう、ここに入れるのは宝物風入のときだけではありませんでした。真夜中だけですが、元旦の深夜、それこそ除夜の鐘の頃からしばらくはここに入れます。 そのとき、ちょうどこの位置から見ていたのですが、3時少し前でしたが、何かの仏事をやっていました。 そして、奥のあの唐門の向こうが舎利殿です。伝承では三代将軍実朝が中国のお寺から分けて貰ったと。私は信じてはいませんでした。 ところが、称名寺の大威徳明王坐像の修理・調査によって、像内納入文書からそれが運慶作であること、発注者が甲斐源氏の信濃守加賀美遠光(かがみとおみつ)の娘で、将軍御所に仕え、頼家・実朝の2人の養育係として重要な役目を果たした「大弐局」らしいこと。そして作成されたのは、和田義盛の乱の3年後、実朝の時代の1216年ということが判りました。更にその像内納入品のひとつに蓮の実があり、これもX線撮影の結果、中に1〜2mmの舎利が埋め込まれています。 となると、本当に仏舎利かどうかはともかく、仏舎利と言われて、そう信じたものが実朝の時代に鎌倉にもたらされたことだけは確か、と言うことになります。 唐門から覗いた舎利殿。もちろん私も何回か中で見せてもらっていますが、中では撮影禁止です。 この舎利殿の後ろに無学祖元を奉る開山堂があるんですが、見ることは出来ません。 円覚寺・龍隠庵の鎌倉巡空 円覚寺・宝物風入と舎利殿 秋の円覚寺・黄梅院 |