鎌倉の秋 2010.11.20 明月院・最明寺跡の紅葉 |
今日は朝から北鎌倉です。こないだとは逆回りにまずは明月院へ。 こないだ来たときよりだいぶ紅葉が進んできましたね。 こないだはここなんか全く色づいてはいませんでした。 本日のメインターゲットは総門を潜ってすぐの最明寺跡の紅葉です。 あちらに見えるのはお茶屋さん。でも滅多に開きません。 しかしそこの紅葉は早いのです。見てくださいこれ。凄いでしょ。 こないだは全然だった隣のモミジに色が移っていきます。紅葉って伝染するんでしょうか? 右のモミジは今週がピークでしょうね。 そして来週はこちらの紅葉がピークになるんじゃないでしょうか。 その延焼しだした紅葉の脇に、北条時頼廟があります。時頼は北条時宗の父で、5代執権。 この地に山内亭を構え住まいにしていました。もちろん鎌倉中、おそらくは現在の宝戒寺の場所に屋敷を持っていましたが、いわば執権公邸で、こちらが私邸のようなもの。 そして1263年(弘長3年)に37歳、満で云えば36歳のときこの地で没しています。11月22日が命日。つまり明後日の月曜日です。 2年前にその命日がたまたま休日でここに来たのですが、あの小さなお堂の前で十数人のお坊さんがお経をあげていました。そしてお堂の中からも読経の声が。終わったと思ったら、なんとやはり十数人の袈裟を着た年配のお坊さんがぞろぞろと出てくるではないですか。よくもまあそんなに入れたもんだというぐらい。建長寺の管長さんとか、塔頭や、臨済宗建長寺派の支寺の住職さん達だったのでしょう。建長寺を建てたのが北条時頼ですから。 北条時頼は戒名を最明寺道崇と云って、山内亭の持仏堂が生前から最明寺と云われました。その最明寺を、子の北条時宗が再興して禅興寺と改名します。明月院というのは室町時代に出来た禅興寺の塔頭でしたが、禅興寺は江戸時代には既に有名無実となり、明治時代に完全に廃寺となり、塔頭の明月院のみが今に残ったという訳です。 そしてその場所は明月院に吸収され、禅興寺の痕跡は先の北条時頼廟と時頼の墓。そして総門から北条時頼廟へ向かう玉間橋の袂に立つ最明寺旧跡道という石柱だけです。 ところで、その最明寺旧跡エリアの足下には竜胆が咲いていました。いつも紅葉ばかり見上げていてなかなか気がつかないのですが。 さて、本来の明月院の方に行ってみましょう。 目的は本堂の丸窓から後庭の紅葉の偵察です。おお、こないだより進んでいるではないですか。 でもまだ公開していません。総門の拝観料を払うときに聞いてみたのですが、まだ決まっていないと。丸窓からは良さそうに見えるのですが、今年はあまり良くないのですかね。 今日は時間が無いので素早く戻ることに。ん? 丸々と太った南天が。 こちらは竹藪の入口を中から。黄色く色づいている葉は夏蝋梅です。咲いている花を見ると「何処が蝋梅じゃ!」って感じなんですが、こうして紅葉しているときは確かに蝋梅みたいですね。 さて、帰り道の紅葉は? 段々と紅葉が進んできました。来週ぐらいがピークかな? その前に枯れなければですが。 他の季節は北鎌倉・明月院 indexからどうぞ |