北鎌倉 2012.10.21 東慶寺伝来蒔絵講演会 |
今日は何しに来たんだって? 2時から東京国立博物館前副館長の小松大秀先生の特別講演会「東慶寺所蔵 重要文化財の漆芸品について」があるんで御座います。 おっ、こっちにも書院に入っていく人が。この人も? 今日の講演会の会場は書院なんです。 蒔絵蒔絵(まきえ)とは、「沈金」、「螺鈿」と並ぶ日本の漆工芸のひとつで、漆器の表面に漆で文様や文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔」いて漆絵に定着させ、更に漆を上塗りして、乾いたあとに金属粉の部分を研出して模様を見せるという技法です。「沈金」や「螺鈿(らでん)」は中国から渡った技法ですが、蒔絵は日本独自とか。尾形光琳の八橋蒔絵螺鈿手箱なんて歴史の教科書にも出るぐらい有名ですね。豊臣秀吉の時代には高台寺蒔絵が良く知られますが、高台寺で蒔絵を作っていた訳ではありません。高台寺に収められていた蒔絵と同様の技法や類似した意匠の蒔絵を後から高台寺蒔絵と呼んでいるものです。 ここ東慶寺に伝来する蒔絵も蒔絵も、その桃山時代をはさんだ室町時代から江戸初期という過渡期を代表するものとして有名です。東慶寺蒔絵と呼ばれることも。豪華絢爛な高台寺蒔絵よりも平均的にはちょっと渋い感じです。毎年秋には宝蔵でその展示が行われるのですが、今年は冒頭の特別講演会がまず書院で。そのあと宝蔵に場所を移して、展示を見ながらのギャラリートークでした。
「初音蒔絵火取母」このポスターにあるのが重文の「初音」です。デッカイ香炉だなぁ、と思っていたら香炉ではなくて火取母(ひとりも)というそうです。この回りに柵みたいなものを組んで、その上に着物とかをかけて香を焚きしめるんだとか。知らなかった。 で、「初音」って何なの? 「香を聞く」なんて言うしねぇ。香のことを「音」って言うの? これは室町時代のものですが、江戸時代の良家(大名とか)の子女は『源氏物語』を「初音」から学んでいったそうです。そして松竹梅に鴬の図柄の中に、「はつね」「きか」「せよ」の文字を配してあります。スライドで拡大したのを見せてもらったのですが、判りやすい字。きっと「御姫ちゃま」用に優しく作ったんでしょう。参考スライドで他の例を見せてもらいましたが、「よめねえよこんなの!」ってパズルみたいなのが一般的なようです。今見ると古色蒼然で「ひいおばあちゃん用かい?」なんて思っちゃうんですが、最初の持ち主の手に渡ったときにはキンキンキラキラだったんでしょうね。 室町時代は復古調で、源氏物語ぐらいそらんじていないと出世できなかったそうです。鎌倉時代の武士は田舎っぺでしたが(花押と一緒に名前を書いたり。アホか!)、室町時代には足利将軍は京に住んでいたので、公家でなくともそうだったのでしょう。 ちなみにこの「初音蒔絵火取母」。徳川美術館所蔵の初音調度品の豪華さはないけれど、時代的にはそれ以前蒔絵の要素を備えているとのこと。まああちらは三代将軍家光の長女の婚礼調度ですから、将軍家の威厳を見せつけるためにそれこそ金に糸目はつけなかったんでしょう。室町時代では例え皇室だって、足利将軍だって、三代将軍家光ほどの財力はありません。 でも私のメモには「壬生忠峯」って書いてあるんだけど、どこで関係するんだったかなぁ。本歌どりの本歌の方かなぁ。全く思い出せません。こういうものは直ぐに書かないとダメですね。フキフキ ""A^^;
「IHS葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」もうひとつの重文「IHS葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」の方ですが、どんなものかはこちらを。 昔は陶磁器にしか興味が無かったので、陶磁器のことは覚えていたんですが、漆器でも同じことがあったんですよね。サイズや模様を指定した海外の注文でガンガン作って輸出していました。忘れてましたが。でも、陶磁器と違って漆器は気候(湿度)の違いから長持ちせずにあまり残っていない、と大昔に聞いた気がするけど。あるにはあったんですね。この「IHS葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」も同じようなものが沢山作られて輸出されていったんでしょう。 今日本にある「南蛮漆芸」は一度海外に輸出した漆芸品が、最近戻ってきていま日本にあるというものなのに対して、この東慶寺の「IHS葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」は「誰かはわからないがいずれかの尼様が所持していて日本からは出ずに、ずっと東慶寺で残っていたという非常に珍しいケース」
どっちでしょうね? 2番目の想像が陰陽師的で楽しくてしょうがないのですが。(笑)
ところで花は?ホトトギスがまっ盛りでした。 好きなのはこの種類。 我が家にあるのはこれ。でもあんまり好きでない。
本堂の赤い芙蓉も咲いていました。
そして、朝顔も。夕顔?
ピンクの秋明菊に・・・
竜胆も咲き始めて。
紫式部も本番はこれからですね。 他の季節は北鎌倉・東慶寺 index からどうぞ |