荻窪駅前の闇市らしさが濃厚だったのは駅の左側。今回廻ったよりももっと西側まで広がっていたと思います。でも今では大きなビルが。
荻窪駅周辺は二度に渡る思い出が詰まっています。ひとつは小学生までのご幼少の頃。その次ぎは大学を中退して、阿佐ヶ谷の三畳一間から引っ越したときです。
しかし何かおかしい。あの青梅街道の向こう側のROOFって昔の東光ストアの場所じゃない。駅前からは見えなかったはず。
北口左の闇市跡
駅の出口の西側です。なんじゃこりゃ! 闇市跡は何処行った! この角には中華屋さんがあったはずだぞ。始めてピータンを食べた。
もしかして、この側溝が闇市街の路地の名残なんでしょうか。
青梅街道沿いに西へちょいとばかし。向こうに見えるのが教会通りです。でもそれは後回し。
青梅街道側から路地を覗いてみました。
ちょっとばかし雰囲気はあるんだけど、違うんだよなぁ。飲み屋街じゃなかったし。
さっきの側溝広場に出ました。この場所は魚屋さん、八百屋さん、その他諸々でひしめいていたはず。
駅前ロータリーは再々開発?
で、駅前に戻ってロータリーの西側のドトールの2階からです。
おかしい。どう考えてもおかしい。下の図は平成21年9月14日の東京都都市整備局の報道発表資料からなんですが、元図はその平成21年時点。青い線で囲った範囲が再開発エリアで今は大きなロータリーになっているところなんですが、40年前には、このあと出てくる荻窪の闇市跡は赤い線まで、
つまりこの交番の目と鼻の先まで着きだしていたはず。駅を出た私はその着きだした鼻を見ながら麻丘めぐみの「私の私の彼は〜、左利き〜」を思い浮かべながらこの交番の方へ歩いていたんですから。1973年7月5日発売ですか。
なんでその歌なんだって? 当時の彼女がよく歌っていたんです。私が左利きなんでね。
交番の前から青梅街道ぞいに東へ。おかしい。
ロータリーはこんなに広く無かった。
絶対におかしい!
あっ、証拠写真発見! 「すぎなみ学倶楽部・フォトギャラリー」「昭和」で見る」の4ページ目、昭和56年9月 撮影の「荻窪駅北口再開発ビルオープン」。正面のデッカイビルがタウンセブン。下中央に見えるのは駅前交番でしょ。その左下を見てください。交番方面に尖った二階建て?の建物が!
タウンセブンサイトに「タウンセブンの歴史」というページも見つけました。昔の闇市跡の光景が。
おお、まさに私たち二人が住んでいたまさにその頃の航空写真を国土地理院で発見! 1975年1月20日です。ん? 別れた頃かな? ともかくこれを見て下さい。この図の赤い範囲には確かに建物が! バスが一台ドータリーから出ていこうとしてます。
つまり1981年(昭和56年)9月30日のタウンセブン完成以降、平成21年(2009年)9月14日の東京都都市整備局報道発表資料での再開発の間に、もうひとつ再開発があったんですね。
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