2013.07.20    光明寺から大町への裏道  

鎌倉の女の子に「リトルタイランドでお昼食べようよ♪」とメールしたら、「お昼は無理だから3時頃にお茶しない?」と返事が。 3時? それまでどうするかなぁ。とりあえず鎌倉まで歩くか、と例の賄い侯爵御用達の裏道へ。10日に通ったいここですね。あのときは光明寺への「行き」でしたが今日は「帰り」です。

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この道は三浦道の裏街道になるんですが、かなり古い道だと思います。その理由はお寺や神社。
まずは実相寺です。曽我物語』、つまり曾我兄弟の仇討ちの仇役、工藤佑経の屋敷跡との伝承があります。

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次は五所神社。 材木座の鎮守ですね。材木座の汐神楽はこの五所神社の行事です。

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あれ? あれが神社?

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と思った建物は御神輿を納めてある建物で、神社本殿はこちらです。 五所神社の五所とはこの近隣にあった八雲社、金毘羅社、諏訪社、視女八坂社をここに合祀したからだとか。

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神社に板碑って何? と思われるでしょうが、廃寺となった感應寺の境内にあった板碑を五所神社創建のときに移したんだそうです。弘長2年(1262年)の銘があるとか。

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神様って何なの? というのがこの三光尊石上稲荷。
材木座海岸の豆腐川の河口にあったという石で、舟や海水浴客、漁師に悪さをしたり、いたずらをしたため、陸に引き上げられたんだそうです。何それ。悪霊じゃん! 

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古いものでは無さそうですが、でもこの摩利支天もちょっと面白い。隣には観ざる云わざる聞かざる? なんでも有りですね。

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そして来迎寺。あれ? 来迎寺? 西御門にもあったけど。
それに三浦大介義明の墓がここっておかしいでしょ! と思うんですが、 1194年(建久5年)に、源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した能蔵寺という真言宗の寺だったそうです。

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 だから墓というより供養塔ですね。
1335年(建武2年)に音阿が時宗に改宗し来迎寺になったんだそうです。
本尊阿弥陀三尊は運慶作と伝えられるそうです。そう伝えられるものは鎌倉には沢山ありますが、本物の運慶作は鎌倉にはひとつもありません。

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昔、自転車オフを主催していた頃、東京からやってきた自転車乗りに「鎌倉一の壁のような劇坂!」と予告していた踏切です。傾斜は「鎌倉一の壁のような劇坂!」なんですが、坂の長さは数メートル。結構うけました。(笑)

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この小川沿いも鎌倉自転車オフの定番。なんとなくのどかで好きなんですよね。

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その川沿いの道の突き当たりを右に曲がると古東海道(推定)なんですが、その角にあるのが上行寺。

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本堂の正面には七福神が祀ってあります。

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この彫り物は凄い。確かの本堂は名越松葉ヶ谷の妙法寺の法華堂を移築したものだったと思います。

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そしてお向かいには別願寺が。室町時代に建てられた時宗のお寺で、室町時代には鎌倉公方の後ろ盾でかなり力を持っていたそうですが、今では小さなお寺です。

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