2013.10.14    三渓園・旧心平寺地蔵堂他

 臨春閣は予定外だったんで、本来の二番目の目的地、心平寺地蔵堂へ向かいましょう。
と思ったら、その手前に聴秋閣が。

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三代将軍家光の命により、佐久間将監が二条城内建て、その後この茶屋は家光の乳母・春日局に下賜されたそうです。 これも重文。

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だけど、間取りを見ると変な建物ですね。

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昔のシャッターです。平安時代からこうじゃなかったかな?

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 屋根はやっぱり檜皮葺ですね。

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いやいや、これも予定外。本来の二番目の目的地、心平寺地蔵堂へ向かわねば。
と思ったらまた重文が出てきました。月華殿です。

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割とシンプル。と思ったら諸大名が伏見の家康にご挨拶するときの控え室、お茶で云えば腰掛け待合いみたいなもんですね。なので間取りもシンプルなんですが、屋根はこれも檜皮葺ですね。

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やっとたどり着きました。 本来の二番目の目的地心平寺地蔵堂です。
名前が違うじゃないかって? 天授院てのは明治末に原三渓が鎌倉より買い取って、持仏堂として使用してたときの名前です。

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 どこからもってきたかというと、建長寺脇の巨福呂坂に面して建つ心平寺です。そこの地蔵堂。といってもそれが本堂なんですが。建長寺に伝えるところでは、建長寺が出来る前にそこには心平寺という地蔵堂があったと。だから建長寺の本尊は地蔵菩薩なんです。で、その旧心平寺にちょっと引っ越してもらって、建長寺の大伽藍を建設したと。慶安4年(1651年)の建築らしいですから東慶寺の旧仏殿とほぼ同時代なんですが、やはり格の違いはありますね。あちらは千姫寄進ですから特別です。一方こちらは江戸初期の普通の寺院(塔頭)として貴重な存在です。

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戻ってくるとさっきの臨春閣が。

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竹林の中にもお茶室が。でもこれは移築の古い建物ではないようです。

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