2013.11.23 鎌倉時代の東慶寺の梵鐘 |
着きました。
乗り換えです。
着きました。でタクシーに乗って・・・。
着きました。
おお見事な♪
素晴らしい!
いや、そうじゃなくて・・・・。
嗚呼、700年ぶりに(嬉泣)。 いや、700年前にはまだ生まれてはおりませんでしたが。 実はこの写真を撮りにわざわざ早起きして新幹線に乗って、三島で乗り換えてここまで来たので御座います。実はこの梵鐘。東慶寺のために作られたものなんです。というか、東慶寺が鎌倉時代からあったという動かぬ証拠なのでございますよ。 「相陽山内松岡山東慶禅寺鐘銘」とあるでしょ。一番右に。
ほんで最後に「元徳4年(二がふたつ)結制後十一日」と。 元徳4年は1332年で鎌倉幕府が滅びる前の年です。しかし「結制後」だなんて、だから漢文文化は嫌いよ。蘊蓄振り回してさぁ。 漢文苦手だからって八つ当たりするな!(。_・☆\ ベキバキ なんでも「結制」とは「結夏」のことで陰暦4月15日。その11日後だから4月26日のことなんだそうです。一番最後に「大旦那菩薩戒尼 円成」とあるでしょ。9代執権北条貞時の奥さんで高時のお母さん、覚海円成のことです。実は鎌倉末期の裏の権力者。15代執権となった北条貞顕なんて、この人が怒ってると聞いてビビッて、たった10日で執権を止めて出家しちゃったぐらい。おかげて学者さん達はこの貞顕も1代と数えて良いもんだろうかと悩んじゃったんですから。フキフキ ""A^^; 「住持比丘尼 果庵了道」とあるでしょ。東慶寺に残る過去帳には「杲庵了道」(ちょっと字が違うけどニアリーイコール)が四世住持とありますが、でも「新編鎌倉志」の取材時(1673年)に寺から提出された資料には四世住持は別の名前です。「新編鎌倉志」の編集者はこの鐘の銘文を知っていて首をひねっています。東慶寺は16世紀初頭に火事に遭っているのでそれより昔のことは判らなくなっていたんでしょうね。 吊してある部分は龍みたいですね、 なんて書いてあるかなんて「鎌倉市史・考古編」を見りゃ判るだろうって?
ということで本日の目的は達し、気分も晴々帰り道で御座います。こっちの紅葉は綺麗だなぁ。
鎌倉だとこのアングルでは最悪に写るもんね。
この門もかっこイイなぁ。あっ、そうそう、このお寺は本立寺と云います。駅でタクシーに乗って、
え〜と、この門の形式は何て云ったっけ? でも形式の割にはおっきな立派な門だなぁ。
その門前の風景。ひさしぶりだなぁ、こういうのって。良いなぁ、私は本当はこういう分野の人間なんですよ。最近は撮るものが無くなって花ばっかり撮ってますけどね。.
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