2013.11.23 本立寺から代官江川邸へ |
本立寺の門前を真っ直ぐに行くと山にぶつかり、そこを右へ曲がると檀家の江川邸です。 こういう田園風景の中では花も活き活きとしてます。 こういう写真を撮るのは何年ぶりかしら。 6年前の十石峠越えが最後かな?
遠くには富士山が。湘南甚句で「嗅いでみるよりスルが良い〜♪」と唄われたやつですね。
稲刈りは終わったようです。
よいですねぇ〜♪ どこにでもあるような田舎の風景。
おっ、着きました。デッカイ門。ここがあの有名な世襲代官江川太郎左衛門の屋敷です。
ここに来るまでは知らなかったんだけど、江川氏は大和源氏の宇野氏だったんですね。
うわっ、五右衛門風呂が三つも! えっ、違うの? 風呂じゃない? これ、釜?
しかし広い土間。50坪もあるそうです。農家だってこんな広い土間は見たことない。 なんせ江川氏は頼朝直前からの在地領主ですから、中世では半農のはず。 不思議な天井。農家ならカイコとかの作業場になるんだけどね。 中世には屋根裏で養蚕は無いですけどね。
座敷からの庭です。
表に出て見上げると・・・。竹ですぜいあれ。屋根は今では銅葺ですが、もともとは茅葺です。
武家屋敷って感じはしないですね。どうみても豪農の家です。
蔵のひとつには茅葺が残っています。でもあんまり見ない屋根の形ですね。
こっちの倉は瓦ですが。
その江川邸の裏に韮山郷土資料館があるのですが、そこでこれを発見! 円成寺に関するもっとも古い古文書だそうです。ここにあったのは写し(写真)ですが、私にはそれで十分。 足利直義が1339年(暦応2年)にこの周辺の五ヶ郷と、駿河国の2つの郷の地頭・郷司職を円成寺に寄進しています。 円成寺は、9代執権北条貞時の妻(覚海円成)が開いた寺であることも、北条氏滅亡時に父や夫を失った女の子や妻たちがこの地に身を寄せたことも記されています。 その円成寺跡には最後に向かう予定です。 |