2014.02.16 東慶寺・養老孟司先生講演会 |
さて後半です。実は今日東慶寺に来たのはこの看板のためです。いえ、看板書きに来たのではありません。養老孟司先生 特別記念講演会「ここちよきものに触れる 〜日常のなかの鎌倉彫〜」なのであります。 私にとって養老先生とは脳科学者。いや解剖学で東大名誉教授ということは知ってますが、でも脳科学関係の話題の中によく登場されるので。しかしその養老先生が「日常のなかの鎌倉彫〜」についてしゃべるってなに。養老先生って鎌倉彫の愛好家だったの? なにしゃべるんだろう? で、書院の中からの紅梅白梅。よいですねぇ、この位置からは初めて見た♪
鐘楼の茅葺屋根もまたいつもと違う趣が。
三々五々参加者がやってくる報道写真を撮っていたら・・・。 夕方のパーティのときに良く見せてもらおうと思ってたんですが、食べるのに忙しくて忘れてしまった。 で養老先生の講演が始まりました。冒頭に「鎌倉彫の会だそうですが私は鎌倉彫を知らないし、タイトルを見たら”ここちよきものに触れる”と。私は20年前まで解剖をやってまして。死体ばっかりさわっててちっとも心よくない」と。心よくないものばかり触っていたらその反動 で「ここちよきもの」に触れたくなるかというとそうでもなくて、いったいどうすれば良いかと考えた結果が鎌倉彫だから鎌倉時代について話そうか と。 やった! いくら有名人だからって、愛好家の鎌倉彫談義なんかあんまり聞きたくはなかったんでね。 で、話だしたのが九相詩絵巻(くそうしえまき)で す。どこでだったか覚えてないけど、昔見た覚えがあります。現在残る九相図は鎌倉時代・14世紀 のもので、小野小町が死んで、腐敗し、白骨化し、バラバラの骨になるまでを9枚の絵で表します。小野小町のほかには嵯峨天皇の后、檀林皇后もモデルになるとか。死体の変貌の様子を見て観想することを九相観(九想観)というそうで、修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄なもの・無常なものと 知るための修行なんだそうです。なので美人と伝えられる小野小町が登場するんですね。でもこれって、究極のセクハラじゃありません? 本末転倒! そんなんて得られる「サトリ」なんぞ悟りじゃなえよ! だいたい肉体を無常なものとみるのはよいけど、現世の肉体を不浄なものだって? 不浄なものと自ら認めるなら良いけど、現世の肉体を否定して来世の清らかな世界を夢見ているのならそれはブッダの教えでなくてジャイナ教でしょ! と思ってしまいますが。
書院と本堂の間にある池です。表面に積もった雪がまだと溶けないと思ったら、どうもシャーベット状のまま氷になったみたいです。そうかどうか雪玉を投げてみたかったんだけど、残念ながらガラス戸が。 でもまあ、それがどういう意図で書かれたのかはここでは関係ない話なのです。解剖学者の養老先生はバラバラになる直前の骨がつながっている状態の絵を見て、これは実物を写生していると思ったと。実際写生しているそうですが。そこから養老先生はこれが当時の日本人の目だと。方丈記、平家物語にもあるように、諸行無常を実感したのが鎌倉時代ではないかと。これはそうかもしれないとちょっと思いました。慈円も「愚管抄」に保元平治の乱から「武者の世になりにけり」とか書いてますし、京の貴族にとっては天と地がひっくり返ったような気がしたことでしょう。 ただ、養老先生は「平家物語」の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」を鐘は個々に周波数が決まっていてそれが変わって聞こえるというのは変というようなことをおっしゃいましたが、それは違うと思います。養老先生は「諸行無常」を正しく理解されていますが、「平家物語」の作者は正しく理解していない。というか、当時日本人が知っていた仏教が本当に「諸行無常」を理解していたのかとさえ。「諸行無常の響き」とは「盛者必衰」のもの悲しさを現しているとと私は思います。「諸行無常」という言葉は平家物語での使われ方が染みついていて、「滅びる」を連想しますよね。昨年夏の円覚寺夏期講座で妙心寺派の管長さんが「うつろいゆく」という言葉を使われましたが、あれも「滅び」イメージを薄めるためではないかと。 もうひとつは、養老先生が平安時代と言ってるのは和歌だどに代表される京の貴族社会です。「農村はまた別でしょうが」とおっしゃっていました。それを言わなかったら「七つの顔」のひとつに歴史家の顔をもつ私が激しく突っ込んだのですが、突っ込む前にかわされてしまいました。方丈記の作者は貴族社会の末端です。 心と体の二元論にすれば、体が表に出てくる、つまり体にリアリティを感じている時代が鎌倉時代だと。あるいはそこから室町時代、戦国時代まで。良い例が運慶快慶。体より心が表に出るのが平安時代の貴族社会。そして江戸時代。江戸時代のポルノ、枕絵の局部拡大は脳が表に出てる。つまり関心(心・意識)の中心を拡大していると。これは面白い観点ですね。 すると南宋の仏像が写実的なのは元に押されて滅びる直前だから? それが日本に来て、時間とともに写実性が薄れて様式化していくのはどうして? 写実性が薄れていくその真っ最中に鎌倉幕府が滅び、南北朝という日本全国戦乱の時代になる。鎌倉時代より乱れる。室町時代だって決して平和ではないし。 養老先生の持論の紹介は私の手に負えませんが、「逆さメガネ」の中から養老先生らしい章名だけご紹介しましょう。「都市化社会と村社会−脳化社会の問題点」「身体感覚を忘れた日本人−都市化と身体」です。 社会的状況と表現(芸術作品とか工芸の)関係ってあるんですね。世紀末芸術なんていう言葉がありますが。 あれもそうですかね。まあだいぶ観念的なきらいもありますが。ただ体へのリアリティという点では、民芸運動最盛期の作り手の仕事と、現在の同じジャンルでの作品とを比べると、どうしようもなく感じる違いがあります。似たようなことは「古文書ざんまい展」のギャラリートークで神奈川県立歴史博物館の学芸員さんもおっしゃっていました。字を見るとどの時代かだいたい判ると。時代が下がると力がなくなってくるんだそうです。 鐘楼の屋根の雪にご注目。現在13時43分です。 古文書までいくと私にはわかりませんが、もっと身近な民芸系の世界では戦前生まれの人と若い人では上手下手は別にして力が感じられないということは あります。なんでだか解らなかったんですが、最近生活の違いで体が変わってきているのではないかと思いはじめました。体が変わると心も変わると。戦前、というか、高度成長期以前の地 方の農村の生活は江戸時代とたいして変わらないようなところがまだまだあって、若い女性が米俵一俵を頭に載せて奉公先から帰ってきたと言いますし。米俵一俵って60kgぐらいですよ。今の女 の子がそんなことしたら首の骨が折れちゃうんじゃないでしょうか? 50年100年前の農村のおとなは、今フィットネスクラブなんかに通ってるおとなの数倍はからだを動かしているかも。フィットネスクラブに通ってない人なら十数倍から数十倍? わかりませんが。 精神医学の世界でも流行り廃りがあるようです。いや、学説のじゃなくて患者の病態に。マスコミ用語ですが 「新型うつ」とか言われる一群の流行りもそのひとつですね。別に病気まで行かなくとも精神的に軟弱になっているんじゃないかと。もちろん個人差の方が大き いので、あくまで統計的証明のない、精神科医の感想にすぎないんですが。でもそういう感想をもつ精神科医が沢山いる。そんでもってうつ病の運動療法なんかが注目されたり。これは「目から鱗」ですね。 でもねぇ、人間が軟弱になるのはいけないことだから昔の生活に戻ろうといわれたって、私だって嫌ですね。民芸三昧だぞって? 囲炉裏を囲んで一家団欒なんてすばらしいじゃないかって? 知らないからそんなこと言ってられるんです。あれってすごく煙いんですよ。 嫌煙権なんて言っている人たちは生きていけません。喫煙者の私だって目がしょぼしょぼするのに、じいちゃんばあちゃんは平気な顔してニコニコと笑っている。なんなのこの人達って思いました。 講演が終わって書院から出たら・・・、鐘楼の雪が消えた! 15時36分。2時間経ってませんぜ。 ところで、体をどう見るかは日本とヨーロッパでは大きく違うとか。面白かったのは日本人は死んだら差別する。お葬式から帰ったら塩をふる。日本では墓からくるのは幽霊、体じゃない。西欧では本人(肉体)がゾンビとしてやってくる。これは笑いました。確かにそうだ。 西欧文明が明るくて合理的なんていうイメージはとんでもない誤解だと。それは私もそう思いますね。ヨーロッパの宗教画 なんてとてつもなく暗いですよ。特にカソリックの方。私は幼稚園がスペイン系カソリックでしたが、礼拝堂のイエスキリスト像は嫌いでしたね。倉敷の大倉美 術館の一番大きな絵画は壁画みたいな宗教画ですが、ゾッとします。体の芯まで冷える。あんなの見ていて「暖かい心」なんてどこからでてくるんだろうと。日 本の仏教にも地獄絵はありますが、でもなんか笑っちゃいます。何処に違いがあるかというと、リアルさの違いですね。絵の具に助けられているのかもしれ ませんが。でもあそこまでのリアルさに執着する画家の精神状態はちょっとヤバイんじゃないかなんて思っちゃいます。 まあ、ここは東慶寺ページなので一部省略はいたしましたが、しかしその省略した部分の話は解剖学者 の養老先生が言うから安心して聞いていられるけど、そうでない普通の人が1時間はおろか10分だってあんな話をしていたら「ネクロフィリア (necrophilia)な危ないやつかも」と私は思うとかもしれません。主催者が用意したお題は「ここちよきものに触れる 〜日常のなかの鎌倉彫〜」 だったので、そのタイトルに惹かれて来た大多数の方はビックリしたんじゃないですかね。 『夜と霧』の作者、ユダヤ人の精神科医で精神分析家、ナチの強制収容所の生き残りヴィクトール・E・フランクルの 墓参りに行ったそうです。ちょっと無言があって「なんで黙ったかというと名前が出てこない」とおっしゃったら、私の斜め後ろから女性の声で「フランクル」 と。安心しました。養老先生のことを知っていて、養老先生だからと来た人がほかにもいたと。その方が精神科医の方かどういう方かは知りませんが、フランク ルの『夜と霧』は心身相関とか精神神経免疫学での本では必ず触れられる著作なんです。 ところで講演の最中に私は養老先生と言葉を交わしました。どんな会話だって?
このあと「三人三様展 レセプションパーティ」なんですが1時間後。 というのでまたお庭をほっつき歩いたら、あれ? 三椏が雪の重みでやられてしまったみたい。
宝蔵で暇つぶしをしてもまだ時間がある。なので駅前の喫茶店へ行ってコーヒーを飲みながら一服。でもどってきてタケルクインディチを覗いたら、今日も「ご予約満席」と。 いいもんね。俺、今日は食べるものあるし。
と、書院に戻ろうとしたら、えっ、まさか門前払い?
看板が「レセプション パーティ」に変わってました。
本日の私のお食事で御座います。 見てください右端。最近のカメラはあんな板になっちゃったみたいです。ずるいよなぁ。 実はこの会、「鎌倉彫を考える 三人三様展」のレセプションパーティなので、そのお三方がちょっとづつスピーチ。稲生さんが「漆器の手入れについて聞いたら多分三人三様の答えが返ってくるのではないか」と。確かに三人三様でした。面白い。 志知勢次さんだと思うけど、宝蔵の「御用箱」のことを聞いてみました。ご本人はご覧になっていなかったようですが。「拭き漆って長い年月(100年以上)経つと木地に吸い取られちゃいません?」、「染みこんでしまうのか蒸発してしまうのか、確かにそうなります」、「え〜!蒸発?」。 今思いついたのは、通常我々が使う拭き漆の器はかなり堅い木に塗ってあるので使っているうちにすり切れてしまうことはあるけど、使わなければ塗りが薄くなっちゃうなんてことはありません。でもあの「御用箱」は曲げ物ですから目の粗い柔らかい木のはず。やっぱり木地に吸い取られてしまったんじゃないかなぁ。
養老先生ともお話がしたかったんだけど、他の方に捕まっていて、気がついたらお帰りになっていました。残念。 あとで気がついたんですが、そのとき私は養老先生の本をもっていたんですよね。講演が始まるまでに読み切ろうと常にバックに入れてたんですが実は読み切ったのは講演会の後。サインしてもらえば良かったなぁ。とちょっとミーハーなことを考えてしまいました。 お帰りはこちら。夜の書院の中門からです。
そして山門。
入口の東慶寺ギャラリー&ショップの夜景です。この直前に係の方らしき女性お二方が入っていきました。「三人三様展」は23日(日)までです。今週末の22日にも書院でギャラリートークがあります。朱漆の器をもっていって手入れの程度を見てもらううかな? 他の季節は北鎌倉・東慶寺 indexからどうぞ |