15:22 前回登ってきた化粧坂です。 連署談:「前回はきつい坂と思ったけど、今から思うと楽ちんな坂だったんだね。」 わし : だから云ったじゃない。自転車担いで登れるぐらいの普通の道だって。
そちらへは下りずに源氏山公園へ。
そこで連署が「奉行、トイレに行ってくるから」と。「は〜? トイレは向こうだよ」、 「えっ、あの建物にトイレって書いてあるじゃん」、「良く見なよ、矢印があるでしょう」、 「あっ、ほんとだ! すげ〜な〜、看板付けるために建物まで建てちゃうのか〜!」 なわきゃないじゃん! ほんと連署はいつも面白いボケかましてくれます。
15:27 この写真を撮ったらおじょうちゃんが「えっ、トイレの写真も撮るの?」とこっちでもボケかまし。 「ちゃうわい。赤と黄色の紅葉を撮ってるんじゃい! トイレだなんて云わなきゃわかんないでしょ!」 あっ、云っちゃった。(;^_^A アセアセ
15:35 「歩行注意」の看板に 連署談: 「こんな楽な道に置いたって意味ないじゃん。さっきの道に持って行こうか」。 公方 : 「獣と奉行人しか通らない処に立てたって意味ないでしょ」。 俺は獣と同類かい!
15:36 太田道灌の墓です。本ものかって? うんにゃ。 道灌の子孫で徳川家康の側室になったお勝の方が、このあたりが道灌の屋敷だったとこだと云われて英勝寺を建て、隠居所として、その裏にあるここ源氏山も買い取ってご先祖様太田道灌の墓を建てたんです。 だから墓というより供養塔ですね。
みんなは「何て楽な道なんだ」と足取りも軽く。
15:42 でも最後の岩の隙間で「やっぱり難所じゃん!」とおじょうちゃん。
15:46 寿福寺の墓地岸壁のやぐら群です。前期型、つまり鎌倉時代のものですね。
でも何で十字架のお墓がお寺の墓地にあるんだろう?
15:50 世間的に有名な北条政子の墓です。嘘ですけどね。
wikipediaにはなんて書いてあるんでしょうか。どれどれ。「注37」に
江戸時代初期の沢庵も玉舟も寿福寺に詣でてはいるが政子、実朝の墓には一言も触れていな
い。 その伝承は江戸時代後期の『鎌倉攬勝考』が地元の伝承として紹介したものだが、『攬勝考』の著者自身はあまり信用してはいない。
『攬勝考』以前には源頼家の墓と紹介されたこともある。
とあります。ほらね。云った通りでしょ。って私が書いたんですが。(,_'☆\ ベキバキ
15:53 見上げると紅葉が。 って肉眼ではここまで綺麗には見えなかったんですけどね。デジカメは素晴らしい。
やぐらはこんな断崖絶壁の下にあります。つまりこの岩壁自体が鎌倉時代の人間が切り落としたものなんでしょうね。鎌倉は平地が少ないのでこうやって一生懸命平地を広げます。
15:55 執権奥様談:「なんか破壊された磨崖仏の跡みたいね」。 連署、「奉行が爆破したんじゃない?」、そんなことするか!(怒) 連署、「やぐらの中が見たいとか云ってさぁ♪」、ん? それならするかも・・・、ってせんわい!
16:01 こちらが寿福寺の本堂です。正月の三が日はこの中に入れます。入ったら何が見れるんだって? 建物に合わないバカデッカイ仁王像が見られます。何で建物に合わないのかというと、明治初期の廃仏毀釈(神仏分離)で鶴岡八幡宮寺の二十五坊(その頃は半分ぐらいに減ってましたが)が取り壊されたときに、燃やされるのは見るにしのびないとここに引き取られたんだそうです。
あちらが総門。晩秋の紅葉も風情がありますね。
16:04 寿福寺を出ました。って、普通はここから入るんですが。
この時点で16時4分です。との山開店までまだ間がある。鏑木清方美術館で暇つぶしでもしようか。 しかし前回は時間が押してとの山に遅刻したのに、今日は暇つぶしが必要なんてすごいなぁ、山の中を早足で飛ばしまくった甲斐があったわ。
・・・と云ったとたんに全員から、 「何ですって! 足場の悪いところを死ぬ思いで必死に歩いたこっちの身にもなりなさいよ!(怒)」 え〜、だからゆっくり歩いていいよって云ったじゃない。(;^_^A アセアセ
ここまでで鎌倉駅集合から5時間。歩いた時間(休憩抜き)は2時間57分(内山道22分以内を4回、計1時間21分)。私的にはわりとうまいコース配分じゃないかなぁと自画自賛。 このあとまだ平地を歩いているから平地換算では12〜13kmは歩いたことになるんじゃないですかね。インドアな公方とおじょうちゃんは良く頑張りました。パチパチパチ。 もっとも公方の場合は動機が不純なんですが。 どういう動機なんだって? それは次のページを見れば解ります。(笑)
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