奈良・古建築の旅 室生寺帰路の弥勒磨崖仏 2016.05.12 |
16時9分。そう云えば奈良の伊藤さんが室生寺の手前に美味しい草餅があるって云ってたなあ。これか! で二つ買ったんですが、バス停に着く前に無くなってしまいました。食べたからですが。確かに旨かった。 おっ、檜皮葺? バス停です。 16時19分、終バスが来ました。出発は30分なんですが。 16時40分 16時41分。なにげなく風景を撮っていたら・・・ あれ? あれは何だ! 種子が掘ってある。う〜ん、律宗系の石工かな? と思って調べてみたら、なんと「弥勒磨崖仏」というんだそうです。つまり種子は脇役。で、前後の画像を見てみたら、こ、これだったのか! 拡大したら腰のあたりの服のたるみは見えましたが、お顔のところは木の陰で。まさか弥勒如来が掘ってあったなんて、走ってるバスのなかからは解りませんでした。ちゃんと「大野寺弥勒磨崖仏」として国史跡になってる。「鎌倉時代前期 承元二年 1208年、安山岩、高さ 13.6m」だそうです。重源が東大寺再建のときに宋から招いた石工達でしょうか。律宗はもう少し後ですね。後に律宗が率いた石工集団の2〜3代前の先祖ですね。 この向こう岸に大野寺ってお寺があったのか、と思ったら、向こう側ではなくこっち側だったみたい。 大野寺って、伝承では白鳳9年(681年)に役行者(えんのぎょうじゃ)によって草創され、天長元年(824年)に空海が堂を建立したとか。役行者かぁ。修験道って密教と深いつながりがあるんですよね。両方とも「霊験」勝負なところがありますから。役行者がよく使ったという孔雀経法は密教の修法(呪法)ですし。まあ役行者も空海もここに登場するのは伝承としてですが、その二人が登場するということは、伝承が作られた当時の大野寺の性格を表しているのでしょうね。 16時47分。駅です。 電車は16:54発。まだ時間があります。 今はこんなに人家がありますが、平安・鎌倉の時代には思いっきり山の中ですね。そう云えばバスから見た景色に田んぼも畑もありませんでした。
ここです。 今はラブホじゃないのでバスルームのマジックミラーの部分は改造されて壁になってました。 荷物を置いてデジカメ用単3電池を充電器にセットして表へ。 ああ、土産物の屋台へ行ったんだ。 あちこちうろついて20時8分にやっと晩飯にありつきました。蕎麦と雑炊みたいなもの。なんか奈良の蕎麦は旨いよね。単にあたりが続いただけかもしれないけど。 帰りに小瓶の地ビールを買って帰ったら・・・、栓抜きが無い。仕方が無いので東京から小瓶を持っていったジムビームを飲みました。ワンセットめの充電が終わるのを待って、二セット目をセットしてから就寝です。めちゃくちゃ撮るのでそうしないと明日電池切れになってしまう。 ジムビームは洋酒にしちゃ安いので学生時代に良く呑んでたんですが、何十年ぶりかで呑んだら結構旨い。実は今もジムビームを飲みながらこれを書いてます。小瓶じゃなくてフルボトルですけど。 update 2016.05.29 |