奈良・古建築の旅 唐招提寺の南大門 2016.05.13 |
十輪院を出たのが12時12分。その37分後がここです。 でもここは何処? そこからまた自転車で走って12時52分。「唐招提寺入口」という交差点が! ここは何処かというと、下の地図の左側の赤い処です。何処から走ってきたのかといいうと、三条大路の東端から北上して二条大路を西に走り、朱雀大路を南下して小径を西行で御座います。 こっちの地図は左が北なんですが、唐招提寺と薬師寺は近いのね。 という地図の看板があったのがこの橋を渡った左側。 南大門南大門が見えてきました。デカイですねぇ、十二脚門です。 素晴らしい♪ 地垂木は丸材ですね。地円飛角(じえんひかく)。出三斗(でみつど)にシンプルな間斗束(けんとづか)。絵に描いたような奈良時代の建築です。では中に入りましょう。 えっ? あれ? 三棟造じゃないか! 聞いてないよ唐招提寺にもあるなんて! いったいどういうこと? 現存の奈良時代の建築は、千何百年の間に何度かは解体修理されるので、その時代の技術が紛れ込むものなんです。法隆寺の三棟造の東大門も、東大寺の転害門もそうだったでしょう。 と思ったら違いました。『日本の伝統建築の構造』によると大岡賓氏(元国立博物館保存修理課長/元横浜国立大学教授、1900年生〜1987年没)が奈良時代のの様式どおりに再現したものとか。宮大工さんは誰だか判りません。(2016.8.12追記) 修復でなく新築ですから建築基準法を通らないとならない。そうは云っても建築基準法は現代建築を対象としたもので、奈良時代の建築技術なんて評価できない。苦肉の策として「人が中に住んでない」という理由で「建築」ではなく「工作物」ということで認可が下りたそうです。これが先例となって、工作物ならぽ社寺建築が建てられるというので、以後西岡棟梁の法輪寺、薬師寺での活躍が始まるんだそうです。ただし時代というyものもあるかもしれません。この南大門は奈良時代の建築技術で作れましたが、竣工1999年春の平城宮跡朱雀門は「建築」として認可が下りていますが、屋根裏は現実は金物を使って、現在の構法に近い形の設計でやっと認可が下りています。阪神・淡路大震災の後ですから判らないでもないですが。実際に関東大震災では鎌倉の古建築はほぼ全滅でしたから。 あっ、軒先はそうでもないけど、屋根の尾根が緩やかに反っている。綺麗ですね〜。品がありますね〜。時代が下ると軒先の反りが先端だけ急に反るようになります。禅宗様は時に。 唐招提寺の全体図です。 次ページからひとつひとつ見ていきましょう。 update 2016.9.27 |