2016.06.26 浄光明寺・網引地蔵やぐら |
東林寺跡から浄光明寺へ戻り、網引地蔵やぐらへ。仏殿裏手のこの階段を登ります。 更に上の平場へ。 網引地蔵やぐらの前で待っていたのは浄光明寺の現住職で、大三輪龍彦先生のご子息。論文を読んだことがあります。『鎌倉遺文研究』だったかな? お若いですね。もっとお歳をめした方かと思っていました。 網引地蔵やぐらは何度も見ているんですが、この木戸を潜って中に入るのは初めて。 石造地蔵菩薩坐像(通称網引地蔵)が安置されており正和2年(1313)の銘があります。実はここはやぐらの性格を考える上で重要な要素が沢山詰まっています。 まず、浄光明寺は創建時はともかく、後に四宗兼学の律宗寺院となっていること。「四宗兼学」と「律宗」は今日的感覚では矛盾するようですが、当時は矛盾しません。がそれについては省略。 次ぎに、この地蔵菩薩坐像は堅い伊豆石(安山岩)で出来ていること。この当時それが出来たのは西大寺系律の忍性らが引き連れてきた奈良の石工達です。四宗兼学の泉涌寺系北京律と、西大寺系南都律は別の流れではありますが、お互いに交流があり、協力しあっています。 その坐像の頭上には円形の彫り込みが。おそらく座像の天蓋があったのだろうと想像されます。 その彫り込みの先には横柱を差し込んだと思われる四角い穴が。 そして反対側にも。柱は朽ちて無くなってしまっていますが。 右側に小部屋が掘られています。積んであるのは、寄せ集めですね。 座像の後ろに彫り込みが。 柵の外からは判らなかったんですが、実は下にも彫り込んであります。私が真っ暗な穴を撮っていたらスタッフの職員の方がライトで照らしてくれました。有り難うございます。 網引地蔵やぐらの説明を終わって次ぎの場所へ。 実は仏殿のまわりにも沢山のやぐらがあるんですが、こちらは省略。 あっ、いや、私が省略じゃなくて、説明されなかったんです。 説明されなかったのはここだけじゃなくて、網引地蔵から更に上に登った冷泉為相墓と云われる宝篋印塔の後ろのやぐらも行きませんでした。
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