建築史の旅・平泉編 東京から平泉、そして藤原の郷へ   22/12/23 

平泉へ

12月23日朝
吾輩は 10時44分東京発東北新幹線はやぶさ19号に乗り、平泉に向かったのであります。

旅の楽しみは勿論駅弁。東京駅で買いました。しかしこれを食べているときには、これが
 今日唯一のまともな食事
になろうとは、夢にも思わなかったのでありました。

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12時過ぎ、車窓には今シーズン初めての雪景色が。

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12寺38分に一ノ関に着き、新幹線から東北本線に乗り換えです。

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えさし藤原の郷

今回の旅の目的地は平泉なんですが、
世の中には行きがけの駄賃 と言う言葉もあるではないですか。 
今回の行きがけの駄賃は平泉の先の水沢まで足を伸ばしてここ。 えさし藤原の郷です!

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あれ? この写真は何、散策マップに該当する建物は無いんだけど。はて? 

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もしかして「野外ステージ・舞楽殿」てやつ? なら許す。 (世間の声: 偉っそうに、何様?)
いやね、柱の位置を見て「平安末期にこんな建物が有る訳ないじゃん! 誰だ監修したのは!
いいかげんだなぁ、」なんて思ってたんですよ。 

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でもここはテーマパークだから、野外ステージが欲しかったんだけど、
  周りの景観を損ねないようにこういう建物にしたということでしょうか。 それなら納得。 

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案内図にはこの先が「政庁」と。「国府」の中心のつもりでしょうが。
本当のコースは
政庁北門から入るらしいのですが現在工事中なのでこっちから入ってくれと。
なので以下三つの門は
政庁の雰囲気とは異なります。 これは普通の棟門。

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土門とも呼ばれるタイプの使用人などの通用門ですね。死体を運び出したりするのもこの門。

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こちらは上土門? 雪を被ってるので土かどうかは判りません。
実物は法隆寺・西園院に有ります。今は土ではなく、檜皮葺になっていますが。

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政庁エリア

ここからが政庁イメージ。誰のイメージかと云うと、あくまで「えさし藤原の郷」のですが。 

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おい、奥州藤原氏の時代にこんな建物があったと思うんかい! 思ってるみたい。フキフキ "A^^;

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私が一番嬉しかったのはここ! 
タバコが吸える〜♪ 「えさし藤原の郷」ってええとこや〜♪

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牛車のレプリカが置いてあった。まあタバコを吸わせてくれたので、固いことは申しますまい。 

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