賄い家の民芸・工芸  神楽焼・奥田康博師匠

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伊勢市朝熊山のふもとの「神楽の窯」奥田康博師匠の赤絵です。花びらというか花弁と言うか、一番上の左端の翠が欠けているのが解ります? それで家に来ました。
いや、貰った訳ではないですが。ともかく私の処にある大物(高そうなもの)は大抵このように「不良品」です。まあおかげでなかなか買えないものまで楽しめるから良いですけどね。(笑)


これは不良品ではありません、実家で砂糖入れに使っていました。画像ではとてもお見せ出来ないような雑然としたテーブルの上でもしっかり馴染んでいます。

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これは赤絵のサンプルに買ったもの。神楽の絵は剥げやすいので使っていません。

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しかし、いつ見てもこの器、椀の蓋みたいに見えるんですが、私だけでしょうか?


これは師匠の湯飲みです。
大体神楽の土は信楽系の中でも粗い方だと思うのですが、これはその中でも飛び抜けて粗い土です。煉瓦を砕いたような。小石なんか平気で沢山混じっています。しかし神楽にこの色はあまり無かったように思うのですが、もしかしたら酸化だか還元だかで狙いが外れてしまったものかもしれません。切手だったら凄いプレミアムが付くんですが。(笑)

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ところで、師匠は信楽の出身だったんですね。それであの土?
浜田庄司、河井寛次郎に師事したあと昭和33年に、奥様の郷里であった伊勢に築窯したんだそうです。師匠は平成11年2月、78歳で亡くなられました。今は弟子で養子?の奥田丈士さんが後を継いでいるそうです。窯では奥田さんのことをみんなが師匠と呼んでいたんで、なんとなくうちらも師匠と呼ぶようになってしまいました。あと私が行った頃は「番頭さん」と呼ばれた一番弟子がいらっしゃいました。

私が窯だしに伺ったのは1度だけで、確か夜行の鈍行で名古屋で朝を迎えたような。窯だしを手伝ったのか、出てきたものを整理していただけなのか覚えていませんが、白地のよさげな湯飲みを見つけて、お弟子さんに「これ誰の?」と聞いたら番頭さんのだと。
で、番頭さんに「これちょうだいよ」と言ったら「う〜ん、これは赤絵を書こうと思ってたのにな〜、まあしょうがない、気に入ったんならあげるよ」と。
実に良い形でその後長いこと常用だったのですが、割れてしまいました。神楽のものは割れやすいんですよ。師匠の湯飲みが5個とも残っていたのは使わなかったから。砂糖壺が残っているのはしょっちゅう洗い籠に行くもんじゃないからです。