本日のお散歩2004 巡礼古道から名越切通し 12.25 |
最近『鎌倉武士の実像』(石井進著)なんてものを読んでいます。まだ平安中期から末期ぐらいなのですが。だもんで頼朝の父義朝を頭領とする三浦一族ら鎌倉党が藤沢の大庭御厨に侵入したあたりまでなんですが。義朝の長男の悪源太義平の母親は三浦氏だったんですね。 その三浦宗家が宝治元年(1247年)、実質北条(具体的には安達)に滅ぼされたのが現在頼朝の墓と一般には言われる(実際には江戸後期に子孫を名乗る鹿児島の島津が建てた供養塔)あたり、その墓の入り口は大江広元の墓の入り口と同じ(上)、そして墓に行く途中のこの矢倉(下)がよく見ると三浦一族の墓です。 そこからいつもの「境内レストラン」に向かう途中のこの杉本寺が巡礼古道の出発点。巡礼古道とは板東三十三番霊場第一番札所・杉本寺から逗子久木の第二番札所・岩殿寺へ至る古道(山道)です。発見されたのは昭和13年ぐらいだったかな? そこから宅間ヶ谷を報国寺(竹寺)を過ぎ華頂の宮邸のあたりで巡礼古道に入ります。 これがその巡礼古道の登り口、いや〜最初はほとんど担ぎです。 それにしてももう12月も終わりなんですが、この紅葉は何? 担ぎはまだまだ続きます。が、良い道です。 とりあえず石段は終わって、いや〜、こういう山道を行くと私の知らないパスハンティング、初期の山岳サイクリストのような気分になりますね。えっ?お前は邪道パスハンだろうって? あれは対ラ族用の旗印で、「悪源太」と言うのと同じ。本質は「王道派」なので御座いますよ。わっはっは ところでこの四角いもの、前回ジェイくんと来たときもいったい何なんだ?と激論?を闘わせたもの。何カ所にも有ります。古いものではありません。なんせコンクリートだから。 ところで宅間ヶ谷から名越の切通しに至るもうひとつの道が。華頂の宮邸からそのまま奧に坂を登ると。 最後には地道の坂に。いや、たいした距離ではありません。それを登ると本来の巡礼古道の中間点、ハイランドの「子ども自然ふれあいの森」の脇に出ます。 ハイランドの「子ども自然ふれあいの森」の先なのか、まだ中なのか、こちらはパノラマ台への登りです。自転車を置いていってもすぐです。前回ジェイくんに案内されて水道施設の高台に登ったときに目の前に見えた小山ですね。 そのパノラマ台から見た名越の切通しのあたりです。ちょうど中央の山に白く見えるのがあとで出てくる謎の洋館。 こちらが巡礼古道の後半、逗子久木の第二番札所・岩殿寺へ向かう古道です。 途中で下を覗いてみると。どうもこれは自然な崖ではなく人工的に切り取った「切岸」の様に見えます。するとこれも名越の切通しの一部? 一旦ハイランドに降りてまた登り返しパノラマ台分岐から今度は「大切岸」へ向かいます。 その大切岸の上から前方を見ると・・・・、有りました。あの洋館です。しかし昼過ぎなので逆光、これはまた晴れの日の午前中に撮りにいかなきゃならんですな。この洋館が前方に見えだしたあたりからちょっと先が大切岸上のもっとも狭いところ。 これが「大切岸」の上から。万一落ちるとこの高さです、いや3枚下の法性寺から見た写真の方が高さが解りやすいかも。こういう場所であることは上からでは草に隠れて良く解らない。自転車は絶対に降りましょう。こんなところで事故を起こしたら一発で自転車通行禁止ですから。 これはその「大切岸」から法性寺(ほうしょうじ)へ降りる道。後生の城郭は石を積み上げた城壁ですが、こちらは石を切り出した城壁ですね。 こちらがその法性寺。日蓮ゆかりの地です。しかしその同じ伝承をもつお寺は鎌倉側に3つもあります。 「大切岸」を下から見た全景です。この「大切岸」、今日気が付いたのですが、逗子から名越のトンネルに向かう道から遠くですが見えるんですね。ちょっと感動しました。確かに三浦側(逗子)から見るとまるで城壁のようです。城壁を思いたくなるのも無理はありません。 こちらは法性寺から「大切岸」の反対側に見る洋館です。 こうして見るとルードビッヒ二世の館にしてディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなったノシュバンシュタイン城の様な風格もちょっとだけ。下の写真は法性寺下の斜面で、木につかまりながら撮ったもの。 ところが、これまでいつも見ていたのはこの角度から。つまり霊感スポット、お化けトンネルの入り口から見ると本当に山の上にぽつんとあるお化け屋敷のような。あの洋館へはどうして行けるんだろうと不思議でした。 下はその洋館の裏手。法性寺側から登って来た数名のMTBのグループが居ました。 これは狭義の名越切通しの手前ですね。う〜ん、ここにも紅葉がまだ。 今日は小坪側に降りました。 「大ほうとう」と呼ばれる名越の切通しの名所も現在補修工事中。これは台風のせいではなく、数年前から予定されていた修復工事らしいです。
ところでM-kojimaさんが
と書いているのはいったいどこから登ったんだろうと長いこと疑問でしたが、昨日なんとなく解ったような気がします。 |