銭洗弁天お帰り編.1 鏑木清方記念美術館 |
川喜多邸の端、目の前が小町通りと言うところで露地を右に曲がった突き当たりが鏑木清方記念美術館です。観覧料は通常大人200円ですのでちょっと覗いてみることをお薦めします。(地図はこちら) こちらは昭和29年建築当時の画室の部材をそのまま使用して再現したお部屋だとか。こちらから見るお庭はすばらしいです。 私は28年前に整形外科で1ヶ月以上入院していたことがあって、これが身動き出来ずにただ単に骨がひっつくのを待っているだけで実に退屈。 この「鏡花全集」、初版1刷が昭和17年、2刷が昭和50年、私が持っているのはその2刷の方ですが、この装丁が鏑木清方でした。こちらのサイトにこうありました。
確かに鏡花と清方は描く世界が似てますよね。清方が「あやかし」ものを書いたとは申しませんが。鏡花にある女性の美化(憧れ?)は清方にも共通するし、一方で清方の「庶民の風懐にあそぶ」心は代表作にこそなってはいませんが鏡花にもあります。片方は筆をもって語り、もう片方は「ことば」を絵の具として描いたと。 日本画家としての鏑木清方には当時はあまり関心は無かったのですが、この「鏡花全集」の装丁、ほんとに惚れ惚れしますね。清方に関心を持ったのはそれからです。 清方は国芳・芳年・年方と続く浮世絵の画系を継ぎながらそこに明治の近代的な感覚を取り入れてところが伝統的な日本画とはひと味違った味を醸し出していると言われていますが、挿し絵画家として鏡花のみならず多くの文学作品、そして作家とともにあったこと、そして江戸の下町の風情、情緒も鏑木清方を語るひとつの柱になっていますね。 その鏑木清方の日本画の方ですが。
しかし鏑木清方の日本画は、雑誌のグラビアの明治時代版と考えてみるとものすごく納得できません? 上の絵なんてこうやって切り取ってみたら挿し絵ですって。 (うんうん) 昭和2年 (1927) 第8回帝展に出品して帝国美術院賞を受賞した「築地明石町」と言う絵があるのですが、何でも美人画の大家としての鏑木清方の代表作なんだだそうです。その下絵が展示されていました。 それはもう絵にだって「お嬢さん、け、結婚してください!」と言いたくなるような。(*^,^*) ところがなんとこのお嬢様は既にお嬢様ではなくて清方の絵画教室で絵を習っていた江木ませ夫人と言う方がモデルなんだとか。う〜ひと足遅かったか。 (ノヘ;)シクシク.. もうひとつ「孤児院」と言う絵が展示されていましたが、この絵は私は好きではありません。 |