本日のお散歩 壱月参拾日条賄卿大手中路寄入鎌倉

 このタイトルなんて書いてあるんだって? 「吾妻鏡」にね、「1月30日 賄い卿、大手中路より鎌倉に入る」って書いてあるんだよ。えっ? 漢文赤点だっただろうって?フキフキ "A^^;

証菩提寺

徹夜でこちらをを書いていたら朝になってしまったので、さあ寝ようかなどうしようかな?
と思ったのですが、「やはり新発見はタイヤで実地検証せねばなるまい。」と、証菩提寺の写真を撮りに行きました。この辺かな? とバス通りから曲がると消防団らしきお兄さんが。
「この辺でお寺っていうとどこですか?」「あそこですよ、ほら消防団が沢山集まってるとこ、あの反対側ですよ。」なんとお寺と消防団の消防訓練の日だったらしいのです。


さて写真をと思ったら、えっ!デジカメが無い!いつもウエストバックに入れていると思ったのに! ガーン! と言うことでまた往復10km? やっと画像に納めました。ふ〜。


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由来は上の画面に有るとおりですが、今は小さなお寺です。でも良い感じのお寺ですね。
しかし、思いがけないことが、私はバス通りに正面を向いているんだろうと思っていたんですが、横を向いているんです。う〜ん、色々あって小さくなったし本堂も最初とは違うだろうからそうなっちゃったのか?
しかしあんまり聞いたこと無いですね。知らないだけでしょうが。そこで、実は最初からこの向きだったと仮定して証菩提寺の前の道(坂)を登ることにしました。その理由はバス通りはほぼ川に沿っていて昔の道が稲荷川に平行しているなんて、こういう地形ではあり得ないと思っているからでもあります。
もっとも冷静に考えると、その道は頼朝時代の広大な境内の中なんで、それが古道と言うことはあり得ないんですが。まあ、細かいことは言わない。ともかく野七里まで行ってみよう。

野七里

出ました! 野七里1丁目です。と言ってもこれは最初に見た住所表示ではないのですが。まあ、細かいことは言わない。フキフキ "A^^;

で、その野七里1丁目で行く手を遮るのがこのゴルフ場です。この画像では小さくて解らないでしょうが、ちょうどサドルバックの上ぐらいに「鎌倉アルプス」天園脇のゴルフ場の建物です。「鎌倉アルプス」ったってあなた、こっち側からならこのゴルフ場の中を通って尾根の上にまで車が入れるんです。決して急斜面ではありません。


ゴルフ場の東尾根を迂回して、その東側、尾根沿いの走ると、野七里2丁目です。なんかこのへん見覚えがあるんだよな〜。谷戸があったのでそのまま入っていきました。う〜ん、警察犬の訓練所です。来ましたよここ。
でその門の向こうにはあのゴルフ場の建物が見えるではありませんか。たいして険しいスロープではありません。目視でも地形図でも、尾根の実走でも。
さて、明治時代の村道はどこを通っていたのでしょうか。それが鎌倉時代に二階堂から野七里に抜ける道であったならこの警察犬の訓練所を通り抜けて、どこかで東の尾根に登ったはずです。鎌倉霊園経由ではないでしょう。野七里の南端は栄プール(焼却場)ですが、そこと鎌倉霊園の間には切り立った谷があります。


で、尾根に登りました。過去の記憶が鮮明に思い出されました。1/25000図に出ていますが、妙なところに巾5mはあろうかって長い階段があるのです。階段の上には何にもありません。
かつて私はこのルートを逆にたどったのです。柵沿いに走る(押す)のが面白くなくて、踏み後を見つけては突っ込んで行って何度も敗退し、くたくたになって最後はあの突然現れる広い、長い階段を39,800円の重たいMTBを担いで降りたのです。降りたところがいったいとこなのか全く解りませんでした。解ったのはこれは横浜市だってことだけ。

さて話を戻してその階段の上から、普通のハイキングコースが始まります。と言ってもハイキングコースとしては全く認知されていません。まあ地元民のハイキングコースですね。
昔の村道がここと言う根拠は無いですが。・・・もしかしてあの不思議な階段は? 警察が谷戸丸ごと施設を作ったときにあっちへ下りていた村道を塞いでしまって「悪いけどこっちを通ってよ、立派な階段を作るからさ〜」とやったのかも。いや、何の根拠もない想像ですが。

くりかえしお断りいたしますが、ここだと言って居るわけではありません。
でもこれが明治初期の村道だとしても不思議ではないですね。「駄獣」(馬や牛)が十分通れるし、関東武士の軍馬ならこんなのただの平地です。ちなみに国道299号線は秩父の方から上州上野村を通って十石峠から佐久に抜けますが、今は真ん中が無いのです。でその無くなった国道299号線は明治初期に秩父事件で秩父困民党が通った矢弓沢十石旧道のはずです。で、何年かそこの道普請をしたことがありますが、こんな楽な道じゃないです。台風や積雪、そして落石でしょっちゅう道普請していなければなりません。それで廃道になっていたんですが。
だもんで、条件さえ揃えば山間の古道が尾根つたいが多いはずだと聞いただけじゃなくて実感しているわけです。

と言っているうちに天園の脇に出ました。自転車の上の木の札には「野七里・上郷へ」とあります。

さて、あとは二階堂釘貫役所へ下るだけです。


おっ! 切通し新発見! やはりここが大手中道なのでありましょうか!
って、ここはみんな知っとるわい。と言うかみんな通るとこじゃ。でも七口には数えられてはおりません。

天園

なんとなくお茶屋さんに入りました。

いや、梅も綺麗だったんで。フロフキ大根400円を頼みました。


そうしたらでかい!
いや、この画像はもう半分食べちゃったあとなんですが。フキフキ "A^^;
それじゃ〜、これをおかずにお昼にしてしまおうと焼きおにぎりも。こんどはちっちゃい。
おまけに見てください、先にいたお客さんは青竹でお燗をしているじゃないですか。ここまでやってお酒は300円〜350円です。先客の青竹お燗の若い親子連れの方と雑談をしながら風流なお昼になりました。
後で気が付いたら自然薯(もちろん天然)600円と。今度は奈良の純米酒「梅の宿」でも一合ボトルに詰めて行って、300円で青竹お燗にしてもらって、自然薯と焼きおにぎりでお昼にしようかと。(笑)

天園から二階堂へ

さて、「賄い史観」を立証するための「探求の旅」の再開です。


さて、現在のハイキングコースへ出ました。やはりこっちが村道で「もしかすると鎌倉以前から?」ってやつかもしれません。どう見たってハイカーの為に整備しましたって道じゃありませんから。


今回気が付いたのは、ここも朝比奈切通しと同じく両側に側溝が切ってあります。左側は浸食されて小川になってしまっていますが。鎌倉道の構造に近いですが、まあ、これも雨から道を守る為のものでどの時代でも同じことを考えますが。


う〜ん、言われて見れば切通しかもしれません。

いや、今までそんなこと気にしたことは無かったんですが。だって何処にでもあるでしょ、山間部の古道には。


しまった! 写真を撮ってないや。 えっと、あっこれこれ、去年の台風22号のときのものですが、私は二階堂釘貫役所はここではと。永福寺跡から野七里へ抜ける道だし、ここから先には鎌倉時代に人家が有ったとは思えません。ちょうど二階堂の三辻だし。


実は私が永福寺を初めて知ったのはこの清泉小学校の張り紙です。
そして平安末期から鎌倉時代の鎌倉の勉強を最初にしたのが玉川学園のゲンボー先生のサイトです。いや、マジに勉強になります。


こちらは二階堂から真っ直ぐ六浦道に出たところにあった關取場跡の説明です。
う〜ん、馬は230円か〜、割と常識的ですね。
ちなみに後北条氏(早雲の)はこの通行税を小遣いにした訳ではなくて、「荏柄天神社頭造榮ノ料ニ充テシメタル所トス」だったんだそうです。偉いですね。

おまけ・東慶寺の梅開花

さて、初期の中路だけじゃなくて、後世の中道も紹介せねば片手落ちでしょう。
と言う訳で北鎌倉は東慶寺にも寄ってまいりました。

まだ始まったばかりですが、見事です。来月は梅ですね。

何処が「中つ道」なんだって? 
いや、その・・・・東慶寺の前は「中つ道」なんですよ〜。(;^_^A