釈迦堂切通の道 上行寺 |
|
大町四ツ角を過ぎて最初に目につくのは右手のこの上行寺です。ちっちゃなお寺なんですが、この「瘡守稲荷」「厄除」「鬼子母神」の黒茶の看板が妙に味を出しているんですよ。
で、ちょっと覗いてみました。 この上行寺も日蓮宗です。ともかくこのあたりには日蓮宗ばっかです。なんでも1313年(正和2年)に日範上人が創建とのこと。現在の本堂は1886年に名越松葉ヶ谷の妙法寺の法華堂を移築したものらしいですが、たしかに現在の妙法寺の法華堂の方が大きいですね。昔の建物は良くそういう再利用をやります。荏柄天神社も鶴ヶ岡八幡の建て直しのときの廃材を使うのが伝統になっています。 奧に見える本堂の正面には七福神が祀ってあります。 しかし七福神も神仏混合の市民代表みたいなもんですね。 小さな山門には左甚五郎作と伝える彫刻があります。本当でしょうか? 調べてみるとしょっちゅう裏切られているのでちょっと懐疑的です。でも山門にはそれらしきものはありません。これのことでしょうか? と納得して、さぁ、帰ろうかと振り返ったら・・・・、えっ! なんだってー! うっそー! (;^_^A アセアセ… こちらはあの看板の出ていた薬師堂、身代わり鬼子母神を祀っているそうです。北鎌倉で禅宗のお寺ばかりに囲まれていると、なんかこちらは騒々しいですね。でもそれが面白いです。(笑) 大町から材木座にかけて、日蓮宗ばかりなのは、このエリアが商業エリアだったからでしょうね。北鎌倉もそうですが、鎌倉の北半分は北条家、有力ご家人のエリアでしたから。 |
|