古道三浦道 宝戒寺の歓喜天 |
宝戒寺の歓喜天ん? これは! 本堂の「向拝(ごはい)」の両端、「木鼻(きばな)」と言うんだそうですが、横を向いているのは象ではありませんか? 東海道は遠州小夜の中山峠の久延寺で同じものを見ました。 これも獅子や龍、麒麟と同じく当時の人にとっては想像上の、伝承の動物だったのでしょう。しかし、ここには何回も来ているのに、写真も撮っているのに、気が付きませんでした。 お寺の人、昔風に言うと寺男さんに聞いてみました。そうしたらここ宝戒寺には聖天(しょうてん)さんと言って、顔がこの象の形をした象頭人身の双身像の秘仏、と言うか神様? が有るんだそうです。
鎌倉期の歓喜天像(国重文)です。日本最古の木造聖天とされるそうで、この像は鎌倉時代の鎌倉特有の土紋装飾をもつんだそうです。土紋装飾と言うのは土に漆を混ぜて貼り付けた模様です。でも秘仏なので公開されてはいません。それを話してくれた寺男さんもここに来て10数年になるけど見たことが無いとおっしゃっていました。 ところで、更に調べてみたら、ありゃ、これは象ではなくて「莫(バク)」なんだそうです。悪い夢を食べるって意味ですね。おまけに割と一般的みたいで江戸後期にこのような定型化に至ったそうです。知らんかったなぁ。「木鼻 莫」で検索したら26件も出てきました。まあ「榊莫山」まで引っかけちゃってるんだけど。でもひょんなことから歓喜天に出合ってしまったのです。瓢箪から駒ですね。 宝戒寺の歓喜天堂これがその秘仏が収められている歓喜天堂です。 あの扉の中にいらっしゃるようです。 歓喜天の由来由来はここに 写真を撮っておいたんですが、字がかすれかかって良く読めません。しかたがないのでネットで調べてみました。いや、お寺の方にもインターネットで調べてみなさいと言われたので。
初期の仏教が取り込んだインドのヒンズー教などの「性信仰」ですね。昔実家にインドの古代遺跡の彫刻の写真集が有りましたが、それがもうどれもこれも・・・。 日本でも歴史の対象となるような時代では性は思いの外おおらかで、処女性なんてうるさくなったのは明治以降、上流階級以外は下手すりゃ昭和からなんですが、流石に仏教寺院の中ではそれはまずいので。これが中国から日本にかけての歓喜天です。象さんが相撲をとっている? あるいは遠来の友に歓喜のあまり抱き合っている? 全然由来のイメージが湧きませんが。 しかし当時のインドの仏教は本当に民衆が信仰していたそれまでの神々の性欲を吸い取ってしまう必要があったんですね。「貴方達の信仰する神々だって肉欲を堪能・昇華して仏に帰依したんだから」と。 と言うのとは別にお坊さんにとっても恐ろしい仏神で、こういうことなんだそうです。
だから秘仏なんでしょうか。インドの古代の神々を取り入れたのは密教ですからねぇ。祈祷=魔法の呪文の世界の最たるものかもしれません。 何で顔が象なのかと言うと諸説あるらしいですがなかにはこういう話も。
しかしお菓子の「もなか」も月が満ち欠けするのもガネーシャが起源だったなんて。 お堂の入り口には窓に金網が貼ってあるんですが、覗けるように10cm角ぐらい切り取ってありました。あの中にいらっしゃるみたいです。 萩の花など他の季節は鎌倉の萩寺・宝戒寺indexからどうぞ |