鎌倉の梅 2006/3/15 海蔵寺の梅と歴史.1 |
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扇谷山海蔵寺の歴史海蔵寺は小さなお寺ながら紅葉のときもすばらしかったですが、梅もなかなかでした。 建長五年(1253)に六代将軍宗尊親王の命により藤原仲能(道知禅師)が七堂伽藍の大寺を建立したものでもともとは真言宗の寺だったそうです。しかし1333年の鎌倉滅亡の際の全焼したと言いますが定かではありません。それほどの大伽藍なら吾妻鏡に出てきそうなものですが。その後のことはこちらに詳しいです。 扇が谷にあり、臨済宗建長寺派。 天正年間(1573〜92)、または1577年(天正5年)に臨済宗建長寺の末寺になったと言う説もありますが、はて? 源翁禅師とカナズチ開山とされる心昭空外(うげ)は源翁禅師(げんのうぜんじ)とも呼ばれます。金槌のことをゲンノウと言いますが、殺生石をこれで打ち割った源翁禅師に由来するんだとか。こういうお話です。多分どこかで聞いたことがあるでしょう。 平安時代末期、鳥羽天皇が奇病に悩まされていた。原因は愛妾に化けていた白キツネ(確か七尾)の仕業だった。逃げるキツネを三浦義明が那須の原で討ち取った。その功により三浦義明は三浦大介を名乗ることを許された。しかし死んだ白キツネの怨念が「殺生石」となり近寄った人間は死んでしまう(ガスじゃないの?)。室町時代初期に、その「殺生石」を海蔵寺の源翁禅師が念力で一撃して砕き、そのあたり一帯は呪いから解放されたと。 本堂と庫裡本堂は関東大震災後で倒壊し、左の現在の本堂は大正期に再建されたもの。 もうちょっと近づいてみましょう。梅が綺麗ですね。 海蔵寺鐘楼と梅こちらは鐘楼。ここは紅葉のスポットでもあります。 海蔵寺庭の三椏種類が有るのでしょうか。ここの三椏の幹(枝)はえらい太かったです。 海蔵寺の紅梅逆光で見る紅梅は綺麗でした。向こうに見えるのは薬師堂です。 しかし紅梅と呼んでいいんだろうか。フキフキ "A^^; |
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