鎌倉の梅 2006/3/15   海蔵寺の梅と歴史.2

海蔵寺の薬師堂

梅の向こうに見えていた薬師堂(仏殿)は、戦国時代の1577年(天正5)に造立された浄智寺のものを江戸時代の1776年(安永5)にこちらに移築したものとか。浄智寺ではもっと立派な仏殿を造ったのでしょうか。そういう例は妙法寺上行寺にもありますね。建長寺にも。

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堂内には別名「蹄き薬師(なきやくし)」または「児護薬師(ごもりやくし)。」と呼ばれる薬師如来が安置されています。胎内には土中から発掘されたという古い仏面(薬師像の顔)を収めているとか。両脇には日光菩薩、月光菩薩像が祀られています。

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右の壁面に安置されていたこれは観音三十三身像の一部なんでしょうか?

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海蔵寺の矢倉

方丈の左手奥には矢倉群があります。

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海蔵寺の十六井

薬師堂の裏手、現在は途中は民家になっていますが、奧に十六の井があります。でもこんな洞穴を通って自分の家になんてうらやましいですね。子供は怖くて嫌でしょうが。

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こちらがその十六の井です。

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十六の井は鎌倉時代の井戸と言われています。伝承ですが。
窟の中央に石造りの観音菩薩像が安置され、その下に弘法大師像を安置されています。径70cm、深さ50cmくらいの井戸が16あることにちなんで「十六の井」いる。この穴は埋葬の後か?とも言われているそうですが、私は文字通りに井戸、と言うか鎌倉石をしみ出す水を貯めるものだと思います。規模は違いますが、浄智寺にも東勝寺跡の腹切り矢倉の近くにもそう思われる岩窟があります。

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海蔵寺は水の寺とも呼ばれるのは鎌倉十井のうち2つまでここにあるからです。
ひとつがこの「十六の井」もうひとつは三門改段下にある「底抜の井」です。


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