鎌倉の夏2006.09.06 9月になっても蓮の花.2 |
源氏池では望遠レンズでももう豆粒ぐらいにしか見えないぐらい向こうにやっと見つけられるぐらいです。ところが、 昨日「しかしこれ、明日にはまだだろうなぁ。土曜日には終わっているかな?」なんて書いた太鼓橋の蓮の蕾は、ななっ、なんと! 咲いているでは御座いませんか。 可憐で良いですねぇ。でも私が培った「蓮の花開花予測能力」は崩れ去ってしまいましたねぇ。う〜ん、いや、これはやはり源氏池と平家池では種類が違うのでありましょう。 ほのぼのと艶っぽいですねぇ。湯上がりの浴衣姿の女性のうなじのような。 仏様は何故蓮の花の上にそう言えば、ブッダ(仏様)が出てくる前の古代インドでは蓮の花は女性器の象徴だったんだそうです。何で仏様はその上に座ることになったのでしょうか? 男にとって極楽浄土だから? などというオチャラケは置いといて、「ダライ・ラマの教え」を読んでいたらこういう部分がありました。何の根拠も無いですが、これかなぁと。
確か仏教もキリスト教も初期の段階では偶像崇拝を排して居たと思います。しかしそれでは多くの大衆を導くことは出来ないと、大乗仏教が起こり、古来の神々を吸収しながら広がって行きます。インドではヒンドゥー教(前身の婆羅門教)の神々を。 大聖歓喜天なんかそうですね。ん? 毘紐天(びちゅうてん)、吉祥天、大自在天、韋駄天、梵天、弁才天、帝釈天、水天、閻魔天(閻魔大王)、多聞天・毘沙門天、火天、風天(風神)、阿修羅、みんなそうじゃないですか。宗教ってハイブリットなんですね。 そうした大乗仏教の成長過程で、ヒンドゥー教に親しんだインドの人達をなんとか仏教に帰依させようと、仏を仏像として民衆に解りやすい形に表したときに、仏をヒンドゥー教の創造の神ブラフマンになぞらえて蓮の花の上に置いたのではないかと。あくまで「なぞらえて」ですが。 現在多く見られる仏画や仏像、法話を前提として考えると「トンデモ」な説にも見えるかもしれませんが、真言院密教の総本山教王護国寺(東寺)にある曼荼羅の原図・両界曼荼羅のひとつ、胎蔵界曼陀羅を見ると、あるいはそれが表そうとしたことを考えると、あながち「トンデモ」ではないかもしれません。大日如来は宇宙そのものだそうですから。 東寺の曼陀羅は中国・長安の青竜寺で密教の第一人者恵果から空海に託され、日本に持ち帰ったものを平安時代初期に書き写したもので、決してインドから伝わったものではありませんが、しかしインドの様式がかなり色濃く残っています。で、かなり艶めかしいです。 ヒンドゥー教の「天地創造」に蓮の花が出てくるのは、やはりその生命力と多産ですかね。実際、次から次へと蕾が出て花が咲きます。今日見た花と昨日見た花は別の花です。 仏教界ではどう言われているのかって? 法話の世界ではこうです。
翌週9/10の様子はこちら鶴岡八幡宮の祭り囃子と蓮 |