鎌倉の夏2007  光明寺の蓮.07.22

この日、雨の後にもかかわらず出かけたのはひとつにはここ光明寺記主庭園の「観蓮会」があったからなんです。

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光明寺サイト年間行事によると、8月なんですが、2週間ぐらい前にちらっと寄ったら7月21〜22日観蓮会って書いてあったんですね。「記主庭園」の「記主」とはこちらの開山・浄土宗三祖良忠上人のことなんだそうです。本堂と開山堂に挟まれた庭園です。浄土宗にとって蓮の花の池は特別な意味があるみたいです。浄土式庭園とかね。こちらは典型的な浄土式庭園とはちょっと違いますが。

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でもこちら光明寺の観蓮会のコメントにも「さながら極楽浄土の妙境に遊ぶがごとき光景が目の前に広がります」と。まだ蓮の花は少なくて二輪。でも、趣がありますね。特にこうして見ると。

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咲いていたのはピンクの蓮の花です。少し小振りですが。

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前夜の雨にもかかわらず、実に見事に開いていました。

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本堂への渡り廊下の前には鬼百合の花が。

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光明寺は浄土宗鎮西派の大本山だそうです。他には西山派が。もっとも大本山と言うのは7つ有るんだそうです。もっとも禅宗も本山は沢山ありますからね。こちらは総本山が華頂山知恩院だとか。えっ? 華頂山? それって「華頂宮」の名の由来じゃないですか!

伏見宮邦家親王第十二王子が知恩院の門跡(トップ)になっていて。慶応4年に勅命により復飾して、知恩院の山号「華頂山」から華頂宮家を興したのが初代の博経親王です。旧華頂宮邸はそれから五代目(弟が相続したりしているので)に臣籍降下したあと建てられたものです。


それはともかく、鎌倉時代には四代執権北条経時が帰依してこの光明寺を開かれたといわれています。金沢文庫の称名寺も最初は浄土宗の念仏の寺でした。

しかし五代執権北条時頼の頃には裾が広がり過ぎた「念仏衆」が社会問題化してきたのか、北条時頼と北条実時は真言律宗の祖・西大寺の叡尊を鎌倉に呼び、布教頼み、浄土宗の社会的基盤であった下層民・職能集団などか真言律宗に組織されていきます。

それより少し遅れて、下層民衆の間では日蓮とその弟子達の布教活動が進んでいきます。一方で五代執権北条時頼からその子八代執権北条時宗、貞時、高時は禅宗にも力を注ぎます。

鎌倉の仏教の大きな流れとしては、上流階級では真言宗から禅宗へ。下層民衆は、最初は浄土宗、それから真言律宗、最後は日蓮宗、更に鎌倉周辺では一遍上人の時宗(じしゅう)と、中世以降の仏教諸宗派が花盛りですね。

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ところでこの本堂右手の石庭は三尊五祖を表しているんだそうです。今回初めて気がつきました。五祖とはお釈迦様に始まり、中国は唐の時代の浄土教の僧・善導大師、法然上人、第二祖鎮西上人、そしてここ光明寺の開山・三祖良忠上人なんだそうです。お釈迦様の石だけ写ってませんが。

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