釈迦堂切通の道 旧華頂宮邸 |
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友人に鎌倉を案内するとき「ちょっと家によっていくかい?」とみんなをここに案内するのがお約束になっております。おや? ジェイ君達が遊びに来ていたようです。 おいおい何処へ行くんだよ? へっ? 釜飯を食べに行くの? じゃぁお客さんを案内してからわしも行くから。 華頂宮邸の由来こちらが我が賄い侯爵邸で御座います。でもいまだに「華頂宮邸」と言われるのはここを建てた最初の持ち主が華頂博信侯爵で、華頂の名と祭祀を兄で最後の華頂宮から継いだからなのですね。華頂博信侯爵がここを建てたのは昭和4年春、華頂侯爵はそれから数年しか住んでいませんが。その後、たびたび所有者が代わり、平成8年5月にから賄い侯爵邸と呼ばれております。 お前が触れ回ってるだけだろうって? 市が取得したものは市民のもので御座います。 しかし、華頂宮ってここでしか聞かないんですが、どういう宮家なんでしょう? ところで伏見宮家って結構有名なんですが良く知りませんでした。でちょいと調べてみたらえらい、と言うかムチャクチャ古いんですね。よくこんなに宮家として続いたなぁ、それも親王で。あなたスタートは南北朝時代の北朝3代崇光天皇の子の栄仁親王から26代でっせ。崇光天皇って今の天皇から数えると27代ぐらい前。男系だけで見ると天皇家との血のつながりは、1/2の20何乗か、計算できましぇん。フキフキ "A^^; でも華頂宮3代目に伏見宮家から養子に入ってまた戻って伏見宮家を継いだ貞愛親王(さだなるしんのう:陸軍大将・元帥)の第1子博恭王は有名な人で、日露戦争では、旗艦「三笠」分隊長を務め、その後軍令部総長、第2艦隊司令長官、佐世保鎮守府司令長官、海軍大将・元帥に。 華頂宮邸の玄関ささ、なかへどうぞ。一般市民を中に入れることは年に1〜2度ぐらいしか無いのですが今日は特別です。
華頂宮邸の室内こちらが・・・・、なんだっけ、そうそう、ダイニングで御座います。 ダイニングは1階だろうって? う〜ん、そうだったかも。 各部屋にはマントルピースをしつらえて御座います。 我が家はアーサー王の血を引く英国貴族とは言え、ジパングに流れついてから早千年は経ちますのでやっぱり畳の和室が無いと・・・、でも、なんか落ち着かないんですよね。もっと気楽に寝っころがって鼻くそをほじくり・・・、いや、(;^_^A
アセアセ…
だもんであちらに・・・・、良く見えません? ではベランダに出てみましょう。で、あちらに純和風も建てたので御座います。
華頂宮邸の庭と闖入者?ん、何やつ? 黒装束の幕府の隠密が忍び込んでおるぞ! すぐさま駆け付けた金田一耕助とその孫の金田一少年に取り押さえられ、暴かれたその正体は・・・、 えっ? わしの隠し子? こんな隠し子居たっけなぁ、心当たりが有りすぎてわかんないや。(,_'☆\ ベキバキ 何はともあれ一件落着、では庭の方へ。げげー! 今度は兜を被った一団が! おんや、あのモノクロは「鎌倉の悪人」で名高いHiS氏ではありますまいか。 ふ〜、やっと去って行ったようです。 と思いながら振り返ると・・・・、ギャー! おかぁちゃん怖いよぉー! (O.O;)(o,o;) なんなんだ、この親爺軍団! ぶきみぃ〜。 (;^_^A
アセアセ… 失礼致しました。お口直しに自転車界ではその名も高い、おくしゃま美人度ナンバーワンと言われる m婦人のお姿をご覧ください。 華頂宮邸の桜この庭は桜も見事です。他より ちょっと遅め ですが。 こちらが二階のベランダから見た和風建築です。同じ敷地では御座いますが華頂侯爵が建てたものでは御座いません。建てたのは昭和45年以降です。 華頂宮邸のベランダ白い薔薇も綺麗です。 ふと横を見ると・・・、おや? ベランダにお美しいお嬢様が。華頂宮家の御姫様で御座いましょうか。我が賄い侯爵家の姫もあれぐらい上品に育てば良いのですが。 帰っていかれたようです。ではベランダの方へどうぞ。 あれ? m-kojimaさん、何処を覗きこんでるんですか、失礼な。 フキフキ "A^^; そうそう、庭の公開時間は季節によって違います。ちょっと早めなのでご注意ください。 他の季節は竹寺報国寺・旧華頂宮邸indexからどうぞ |
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