飛騨高山 2009.4.12      宮川の朝市

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早朝の宮川朝市

高山の2度目の朝、宿代の支払いの準備を、と思ったらお金が無い。いや、財布を落としたとかそういう話ではなくて、現金で10万円ぐらい持ってきたのにもう現金が無い。倉敷の宿だって、倉敷からの新幹線だってクレジットカードを使ったのにもう現金が無い。何で? 

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この宿はクレジットカードなんて使えないだろう、ってんで早朝お金を下ろしに駅へ。
宮川の朝市はその途中なんであります。


このとうがらしを結わいたものは私も持っています。「これ魔除けの意味もあるんですよぉ。でも岩田さんには魔除けは要らないかしら?」なんて憎まれ口を言いながら年末にくれる人が居るんですよ。何でこれが魔除けになるんですかね? 

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赤いから? 強烈に辛いから? まあ、塩と同じで、防腐剤ってとこからってのがもっともらしいですが。


こちらも高山の定番、お漬物。それも赤カブがメイン。あっ、お嬢ちゃんが味見。

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うちの娘もちっちゃい頃は店頭の試食品をつまむのが好きでした。面白いんでしょうね。


こちらはお餅。豆餅がある。欲しいなぁ、でも重たいしなぁ。自転車バックパッカーだった後遺症で、私は基本的にお土産は買わないんです。

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だってバックパッカーって、出かける前の荷造りは重さを計算しながらやるんです。山んなかじゃ、バックパックの他に自転車まで担がなきゃならないことが有りますんでね。


こちらは近所の方の買い出し?

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観光客だと思うけど。同じ色のドテラを子供が来ていましたから。宿のじゃないかなぁ。

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こちらのお嬢さんは観光客かも。判りませんが。

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この風船。私はビニールの風船かと思っていたんですが、家に帰ってから画像を拡大して正札なんかの文字を読んでいたら、紙風船だって。紙風船でパンダかよ!

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ご家族連れ。あっ、お嬢ちゃんがみたらし団子を食べてる! おれも食いたい。

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昼直前の朝市

昼直前、あと数分で正午ってときにまた来ました。この日は陣屋の朝市を見て、朝食を取って、ぶらぶらと上二之町でも見ながらここ宮川の朝市に来ようと思っていたんですが、途中で忘れてしまって気がついたのが正午の10分前。かろうじて二人に「宮川の朝市を見せる」って約束を果たしたのでありました。・・・ほとんどの露天は店仕舞いの最中でしたが。(^_^;)

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しかし、高山は何処に行っても「さるぼぼ」ですね。さるぼぼの「ぼぼ」は赤子の意味。この枝に着いている赤い人形がそれです。赤だけではありませんが。
「ぼぼ=ぼー=「坊」ですね、おそらく。」と書いている新潟の方のサイト を見つけましたが、多分そうでしょう。そのサイトにもありますが、昔は男の子も女の子もみんな「坊や」とか、名前も付けて「おせん坊」とかは割と最近でも言いますね。「お嬢ちゃん」という言葉は多分明治以降だろうと。平安時代の文書に「姪」と書いてあっても、男も姪と呼んだりすることがあるで訳が判りません。

そうそう、九州で「ぼぼ」というと大変なものを意味しますから注意しましょう。昔、日本工芸館小石原分館長をなさって『民藝のこころ』なんて本を書かれた版画家の高田一夫先生って方がいらっしゃいましたが、九州の先生の処で見た「ツレバリ人形」(確か土人形)にはしっかりと「ぼぼ」が書かれておったそうに御座います。私は先生が大笑いしていたのだけは覚えてはおりますが、はて、何だったのでしょうか?


こっちは稲にさるぼぼが。
ところで、猿の赤ら顔には意味があるんだそうです。生物学的にではなく人間の歴史、思念の世界においてですが。高橋昌明氏の『酒呑童子の誕生』はとても面白いです。そう言えば、『今昔物語集 』にも、猿が悪い神として出てくるなぁ。で、悪い神は魔力を持っているから、味方につければとっても強い味方になると。天狗さまもそうですね。

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誰か『酒呑童子の誕生』にならって『さるぼぼの誕生』の研究をしないかしら。
こりゃ、民俗学ですね。


あっ、浴衣のお嬢さん。浴衣ですよねぇ、これ。

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実は最初の頃、娘は着物を持っていこうかなんて言い出して、私が反対したんですが。と言うのは、娘がそれを言い出した頃、高山の最低気温は1度だったんです。あとは荷物になるってことで。でも持ってきても良かったかもしれない。浴衣のお嬢さんが居るぐらいですからねぇ。


その朝市で連れが見つけたのがこの「みたらし団子と飛騨牛の夢のコラボレーション」。いや、売り文句にほんとうにあおう書いてあったんです。で、お味は・・・、「う、美味い!」

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と一口パクついた後ががこの写真。掛け値なしに「夢のコラボレーション」で御座いましたわ。

ところで、「朝市の歴史」というページを見つけました。個人サイトではなくて、ここ宮川朝市共同組合のサイトの中です。戦後の朝市の流浪の旅なんて、なんか読んでいて涙が出そうになりました。

高山昭和館

と、そのとき、電柱に「昭和記念館」の宣伝が。連れが「ここ行こう!」と。

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わたしはあんまり気が進まず、嫌々行ってみたら・・・、しゃくだけど、ちょっと面白かったです。


これを知っている人はあまり居ないでしょう。今で言えば電動自転車と同じです。今はバッテリーが進歩したから電動だけど、この時代。50年ちょっとぐらい前には小型のエンジンでした。

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西岸良平の漫画、「三丁目の夕日」にも出てくるお医者さんが乗ってるスクーター。私が10歳ぐらいの頃、本当に近くのお医者さんが往診に行くのに乗っていました。

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そのお医者さん。名前が「藪」なんとか言うのです。
あるとき、私が家の柿の木に登って柿を食べていたら、下をそのお医者さんがこんなスクーターに乗って通りがかったので、木のうえから「わーい、藪医者だ〜!」なんで囃し立てたら、「コラー!そんなに青い柿なんか食べてるとお腹を壊すぞー!」と言われて。

それで終わりなら良かったのですが・・・。不運にも翌日からお腹が痛くなって、母に連れられてその藪○医院に行ったら、「昨日の晩ご飯は何でした?」「イカの天麩羅です(母)」「あんなに柿を食べてイカの天麩羅じゃ、お腹を壊すに決まっとる。それみたことか!」と。

でも、実は盲腸だったんです。それで発見が遅れて40日間も入院するハメに。「やっぱり藪医者じゃないか!」と私は思うのですが、世間の風は冷たく、「お医者さんをからかった天罰」としか言ってくれません。トホホホホ・・・


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しかしむかつくのは、名古屋で合流した連れで御座います。
だいぶ歳が違うのを良いことに、昭和は昭和でも昔の農家の蓑(みの)なんかを指さして、娘に「パパの子供の頃はこんなの被って学校に行ってたんだよ(ニヒヒヒヒ)」。娘も面白がって「パパそうなの〜?」、ちゃうわい!(怒)