「武士は奈良時代の昔から存在」には違和感を覚えていたのですが、私の方が後世の武士のイメージに縛られているのでは？　と思い始めました。改訂予定です。でもまだうまく書けません。（2009.9.1記）
私はそうそう簡単に騙されはしませんよ。　と、身構えてから2年以上抵抗していたのですが、降参です。m(_ _)m　（2008.01.10記）　

ご本人の弁　神戸大学附属図書館報　 (2000.4)　ＢＯＯＫＳ　自著を語る

平安中期、貴族は都で儀式や享楽にあけくれ、かたや東国農村では新興の武士が営々と農業経営や開発にいそしむ。やがて武士は源平内乱・鎌倉幕府の創設を経て、退廃した貴族にとって代わり、時代の主役となる。これが、あなたやわたしの小学校以来の常識であった。両者は善玉・悪玉、イソップの寓話でいえばアリとキリギリスの関係にある。 　本書はこの常識のウソにチャレンジする。結論から言えば、武士の発生母体は都の貴族社会であり、その登場の時期も奈良・平安時代初期にまでさかのぼる。だから貴族と武士を単純に新旧の対立と見るのはあたらない。華美文弱と質実剛健の対比も、意識・無意識の先入観とできあいの価値観による、誇張や事実の歪曲であることが多いのである。 　筆者は、この虚像創出の背景には、江戸幕府の公式史観や、近代富国強兵の軍国国家下のナショナリズムの作用があった、と考える。ご用とお急ぎのない方、だまされないぞと思う方、ＮＨＫの大河ドラマ風ワンパターンの歴史に飽きた方、武士や武器・合戦のお好きな方には、ぜひ、ぜひ、ご一読を。 （たかはし 　まさあき　文学部教授）

ご自分の大学の図書館・学生向なのか文体がなんかくだけていて好感度はアップ。

��橋昌明氏の標的・在地領主的武士論

��橋昌明氏の『武士の成立　武士像の創出』の主張を一言で表現しているものがこれでしょうか。

武士を平安中期以降農村に発生してくる新興の在地領主層（封建的農奴主階級）の武装したものとし、王朝貴族と対比的に理解する考え方は、平安貴族・在地領主双方の実像の面で、また武士論を事実上在地領主制論に解消してしまっている点からも、納得できるものではない。(ｐ45)

そしてその標的は、安田元久氏に代表される、戦後第一世代の学説です。そしてその背景には、石母田正氏が著した『中世的世界の形成』がデーンと。じゃあ標的は石母田正氏じゃないのかって？　いや、そう言う為には『中世的世界の形成』をちゃんと読まなければならないので。それに「武士論（武士団論）」では、なんと言っても安田元久氏の影響力は大きいのですよ。

貴族的な律令体制を母胎としながら、その中で育った武士階級の代表者が、しだいに成長して貴族政権の内部に台頭し、やがて貴族政権内部での発言権を増大し、さらに貴族（公家）政権の存在をそのままに、武家独自の政権と支配体制を樹立し、ついには公家政権を事実上無力のものとしてしまうという経過をたどった。（「武士勢力の成長」　1972年　『武士世界の序幕』（吉川弘文館　1982年）に収録）

先人の到達した学説を批判して、研究が進むというのは至極当たり前の話しなんですが。ところがこの安田元久氏のこの説の影響たるや非常に根深くしみ通っていたのです。

おちついて関連する歴史書をひもといてみると、高名な第一線の学者さん達が、1960年代後半から、すでに疑問を呈していたようです。その問題は1970年代に活発な議論を巻き起こし、そして1980年代には、アクティブな研究者の中では安田元久氏の学説はあたかも非主流派に転じたかのような感があり、1990年代には、ほとんどの学者さん達がその呪縛から解放されて、完全に勝負は決まったかの感があります。

でも巷ではまだまだ非常に根強いですね。
それも、「学界」から「教科書」とか「俗っぽい入門書」を通じて、「民間？」に浸透していくにつれ、元々の問題意識なんか忘れ去られて、従って石母田正氏の中世史観（階級闘争史観）など、最初から意識に登ることはなく、「農民達は武器を持って武装し、自分たちの土地は自分たちで守るようになりました。これが武士の誕生です」とか、「白河法皇の陰謀」、「白河院政の黒い手」だなんて、安田元久氏の武士認識の表面の、俗人にも解りやすい極一部だけが一人歩きしています。

それにしても「農民から武士が発生した」なんて言った学者が本当にいたのでしょうか。「在地領主から」と言った学者さんなら沢山居たようですが。「百姓」を「農民」と思ったんでしょうかね。朝廷の文書に出てくる「百姓」は、実際には農業その他産業全般の経営者、または領主で、「納税者」ぐらいの意味なことがほとんどで、自分で田畠を耕していた今でいう「お百姓さん」とは違うと思うのですが。

そういった過程で、安田元久氏を代表とするかつての定説に対し、もっとも痛烈な批判を展開したのが、��橋昌明氏だと思います。『武士の成立　武士像の創出』は、1990年代に書かれた��橋昌明氏の論説に書き下ろしも加えて、1999年にまとめた本なのですが、私の知る範囲では、1971年には既にそういう立場から自説を展開されているようです。1971年といえば、安田元久氏もまだ積極的に持論を展開され、そして、戸田芳実氏や、石井進氏が、有名な「国衙軍制論」を展開され始め、学会が騒然、いや百花繚乱としだした直後でしょうか。

「職能的武士論」の流れ

��橋氏はこの著書の冒頭「第１章　武士を見直す第１節　武士は芸能人」をこのように書きだしています。

日本の古代・中世社会では、武士は芸能人だった。この見解をもっとも早く述べたのは佐藤進一氏であり、続いて上横手雅敬氏も同様の見解を述べた。その後、故戸田芳実や著者などがこの視点を継承し、他にも少なからぬ論者の参加があって、近年の武士研究では一種の通説化した、と言って過言ではないだろう。

ここで「芸能人」と言っているのはタレントのことではもちろん無く、ある職能、技術分野でのプロと言う意味です。

石井進氏によると、佐藤進一氏が「武士は武芸をもって支配階級に仕える職能人もしくは職能集団である」 と規定したのは『日本の歴史８　南北朝の動乱』（中央公論　1965年）の中でなんだそうです。『南北朝の動乱』は古本屋で見つけてきたのですが、どこに書いてあるのか、まだ見つけられません。

「上横手雅敬氏も同様の見解」というのは1969年のことだそうです。それは読んでいないのですが、　『シンポジウム日本歴史５　中世社会の形成』（1972年）での「平安時代の内乱と武士団」という基調レポートの中で、上横手雅敬氏が、��橋氏の初期の主張（1971年の「将門の乱の評価をめぐって」という論文）をこのように紹介されていました。

在地領主と、軍事身分としての「侍」とが安易に同一視されて、社会発展史上における領主制の役割と、軍事身分としての侍が果たしてきた歴史的役割とが区別されなかったという批判が生まれているが、この批判はあたっていると思います。（上横手　p141）

もっとも横手川雅敬氏は、それに続けてこう書もかれていますが。

武士団研究を農村史に解消してしまわないことは重要でしょう。しかし、侍と在地領主を区別するのが大切であるとともに、領主と侍の関連づけについても、もう一度考え直してみる必要があると思います。そうしないである一面だけを強調しますと、武士とか武的勢力というものが、社会発展の主流と別個に存在したアウトロー的な妙なものと受け取られかねない一面があります。（上横手）

当初の私の違和感

この��橋昌明氏の『武士の成立　武士像の創出』を読んだのは（つまりこのページを最初に書いたのは）2005年の事ですが、最初ものすごく警戒しながら読んでいました。

それは、冒頭が原勝郎と久米国武の紹介から始まっていることです。方や京都嫌い、方や東国嫌い？　なんか武士論に関東・西国の地域主義が混じっているようで、久米国武の説に肩入れする��橋昌明氏の論述は最初から偏りがあるのでは、と言う警戒心が起きるんですね。それから１年以上経った2007年１月時点の私の違和感の残骸が旧稿の中に残っています。

同じ��橋昌明氏の『伊勢平氏の興隆−清盛以前』とかを読むと、そう言う論調は少ないので警戒せずに（色眼鏡を掛けることなく）読めるんです。私が色眼鏡を外したのはそれからですね。最近は"確かにおっしゃる通り"と、思い直しました。

��橋昌明氏が、本書の第2章第1節「古代における武士の発見」で、以下のように挑戦的に述べたことは、実は非常に含みのあるひとことだったのでは、と最近になって思います。

だから近年では、武士の武士たるゆえん、つまり武士の戦士的側面を中心に武士論を組み立てることが普通になってきた。この結果、武士はれっきとした「芸能」人、武芸（武という技術）を家の業（なりわい）とする職業的戦士、と理解されるようになった。彼らの経済的基盤がいかなるものであるかは、ここでは中心的な問題ではない。(p45)

この最後のひとこと「彼らの経済的基盤がいかなるものであるかは、ここでは中心的な問題ではない」に対して、私は内心「暴論だ！」と思っていたのですが、それが私の誤解であったことに気がついたのはつい最近のこと、第一部の付論「武士発生論と武の性格・機能をめぐって−諸氏の批判に応える−」の中のこの一文に気がついたことからです。

わかりにくいと言うなら言葉を補う。私の見解は、武士とは社会的分業が家業の形態をとる歴史的段階において成立する職業身分のひとつ、と言う点にある。そして、武士を武士たらしめるのは王権であるけど、その存在の真の根拠は、当該期社会の自力救済的性格とそれがかかえる矛盾にあった。 （p169）

��橋氏を巡るアクティブな学者さん達との争点は、実はこの最後の処を��橋氏が無視しようとしている、と受け取られてしまったところにあるんじゃないでしょうか。最初からそう言ってくれれば良いのに！　と思いながら、もういちど読み返してみたら・・・、最初から書いてありました。でも判りにくいんですよぉ。（と言い訳）

学者さんはともかくとして、この本の一般の読者は「武士」または「武士団」の「発生の真の根拠」「存在の真の根拠」を求めて買い求めて読んでいるのではないでしょうか。それが「当該期社会の自力救済的性格」の「自力救済」だけに目がいってしまうとそれはそれで、「領地を守るために自然発生」みたいに傾きかけないとも限りませんが。しかし「種」と「土壌（環境）」の両面を押さえないと「大木」への成長は理解できないのではないかと思います。

諸氏の批判への��橋氏の応え

『武士の成長と院政』で下向井龍彦氏が

奈良時代初期の養老５年(721)正月、「文人と武士は国家が重んじるものである・・・・」と言う元正天皇の詔が出され・・・・「武芸」に優れた官人が褒賞された（『続日本記』）。これは「武士」の語の初見史料とされ、奈良時代の武芸官人も武士と言ってさしつかえないと言う意見も無い訳ではない。しかしここで「文人」に対して「武士」と言っているのは律令的武芸に優れた武芸官人を指しており、中世武士につながるものではない。(『武士の成長と院政』 p101〜103)

と書いているのは��橋昌明氏を意識してのことだったようです。��橋氏はこう書いていらっしゃいます。

本書の元となった諸論文にたいして、武士論革新の意欲を共有する、ないし武士に深い関心を持つ研究者諸氏から最近集中的に批判が寄せられている。川合康、近藤好和、斉藤利男、下向井龍彦、杉橋隆夫、田中文英、野口実、福田豊彦、元木泰雄の皆さんによるそれである。この方面を代表する錚々たる顔ぶれで、学問に携わるものとして名誉このうえもない。（p 161）

諸氏の批判が集中しているのは拙論の都を中心としたアプローチである。「著しく中央の、しかも京都に偏重た分析視角」、「あくまでも中央・首都から見た「武」と「武力編成」の分析であると言う点で、やはり一方に偏している。」、「あまりにも都の武士に重点を置きすぎた理解」などの声がそれを示している。またそれの裏返しとして、従来武士の本隊と考えられてきた地方の武士、ことに東国の武士を、私が一律に「傍流ないしセミプロ」と主張しているごとくに決めつけられている。・・・（p161）

その「諸氏」の��橋氏に対する批判の要約と、��橋氏のそれへの弁解・反論は、先の第一部の付論「武士発生論と武の性格・機能をめぐって−諸氏の批判に応える−」にあります。

都に偏重しているという批判については、まず私の武士論が発生論であること、武力と武力的存在を総論するものではないことを申し上げておく。発生論である以上、発生の場所とその契機、中世武士の原初形態がいかなるものであるか、を重点的に論じねばならない。 （p163）

う〜ん、それはそうですね。

ここで、学説史に触れておくと、武士論には職能的武士論と在地領主的武士論の二つがある、と言うような言い方がされる。私も惰性でそれに従ってきたけれど、通俗的で不正確な言い方である。果たしていうところの「在地領主的武士論」に、「武士とは何か」という定義的な問いかけがなされているのだろうか。（p163）

「在地領主的武士論」は江戸時代の士農工商での武士階級のルーツが主眼なのでしょう。社会とか支配の担い手としての階級というか層というか。
石母田正氏はちょっとおいといて、普通の人がそう考えると、最初の「武士政権」「幕府」（この呼び方が適切と言うつもりは無いですが）である鎌倉幕府の担い手、「御家人」はどこから出てきたか、そりゃ「在地領主」でしょう、とこうなって「在地領主」を一生懸命研究することになるんでしょうね。感覚的には理解できます。

ちょっとおいといた石母田正氏の場合は、中世の原資料としては最大級のボリュームだったらしい東大寺黒田荘の古文書をじっと見つめてそこに隠れていた当時の世界を描き出したと言えるのでしょうか。それが『中世的世界の形成』かと。そしてその中での「武士団の成立」は3章「源俊方」の第2節です。

でも、この『中世的世界の形成』、手には入れたのですがなんか怖くて読めませんね。私なんぞイチコロで洗脳されてしまうかもしれません。もう少し「抗体」で武装してからでないと。なんせ、戦後の日本中世史研究は、その呪縛から解放させるのに何十年もかかったんですから。

ところで、第一部の付論で、高橋氏が、具体的に名前をあげて、反論、または自説の説明を行った主なものは、下向井龍彦氏、元木泰雄氏、近藤好和氏に対してです。下向井氏に関してはまた別のページで見ていきますが、元木泰雄、近藤好和の両氏に関しては、主に「武芸」に関するもので、あまりにも「都に偏重している」というようなことを言われたらしいのですが・・・。

ただ、私が両氏による高橋氏の説への批判（言及？）を読んでいないこともあり、どうもよく解りません。高橋氏の本書での説明と、両氏の他の文献を読む限りでは、そんなに根本的な相違は無いように思えてしまいます。

言葉尻を除けばですけどね。高橋氏の言葉尻というか語気は非常に強烈なので。

近藤好和氏は、この本より3年後の『日本の時代史７　院政の展開と内乱』（吉川弘文館　2002年）の2章「武具の中世化と武士の成立」において、この高橋氏の本に触れています。

高橋は中世武士を騎射芸を表芸とする芸能人と捉え、中世武士の騎射芸などの武芸は近衛から継承したものという（��橋昌明　1999年つまり本書）。高橋の捉え方は著者よりもかなり限定的だが、衛府官との連続性に注目する点では著者の考え方にも通じる点がある。(p179)

もっとものそすぐ後に「ただし、高橋は・・・・」とつづくのですが、まあそのあたりはお互い様。というか、「高橋氏の”語気”にはひとこと言い返してやらないと」みたいな「売り言葉に買い言葉」じゃないでしょうかね。

ただし、その章の最後に、近藤好和氏がこう書かれていることは、私も妥当だろうと思います。

��橋昌明は中世の武具や武芸の成立について中央から地方へという一元論を説くが（��橋昌明　1999年）、中央・地方双方向と考えるのが妥当であろう。(p184)

「双方向」の影響を押さえておくことが、高橋氏の論の根幹を否定することにはならないでしょう。別にぴったり半々でなくとも、２対１だって４対１だって「双方向」なのですから。

武士の承認

��橋氏に話しを戻して、

そこでは「中央・地方の政治が乱れるにつれて、軍事・警察制度も無力になり、郡司、荘官などの地方有力者は自ら武芸に励んで武力を蓄えるようになった。」などの教科書的な説明以上に出ることはほとんど無かった。しかし武装の事実と、武の専門家は同義ではあり得ない。そもそも武の専門家とは何だろう。・・・・・（p163）

前近代の自力救済社会にあっても、官僚貴族や農人（村）、職人が武装していても、誰もそれを武の専門家とは考えないだろう。在地領主でも同じことである。
武士とは何かという意識的な問いかけに欠けた「在地領主的武士論」は正確には武士論ではない。
・・・・私の「武士とは何よりも「武」という芸（技術）によって他と区別された社会的存在」「武芸を家業とする特定の家柄の出身者」なども、回答のひとつである。（p164）
しかしこれだけでは・・・・・彼らを貴族から百姓までの武装せる人々と区別するものは何かについて、明確な視点や指標が必要となっている。（p165）

武士の発生源とその認知方法について、その後者の問題を初めて意識的に取り上げたのは戸田芳実氏と石井進氏であり、石井進氏は国内武士の組織化や認知の方法として国司の館への勤務、国守主催の狩りへの参加、諸国一宮での流鏑馬など軍事的儀式への奉仕があったのではと説いています。（あとの「石井進氏に始まる国衙軍制論」で触れます）

つまり権力（この場合は国衙）に認知されて、奉仕して、初めて武士たりえたと。有名な「国の兵・館の兵」ですね。石井進氏を避けて通ることはできません。ただ、その認知のプロセスがあると言うことは、武士が単なる在地領主が自然発生的に武装したものではないと言うことになります。これは『日本の歴史６−摂関時代』（小学館　1974年）にはさんであった「月報６」で、の坂本賞三氏との対談で、戸田芳実氏も似たようなことをおっしゃっていました。

戸田：・・・・武士はそういう新しい国政の中でこそ武士になれたのであって、武装したものが武士と言うふうには当時でも考えてはいなかったと思います。・・・・武士の武士たるゆえんは、むしろ領主の成立以前に武士の身分とか地位とかある機構とかと言うのもが出来てしかるべきで有るという考えを持っています。

「武士の身分を認知するのは、究極的には王権」ということを、今でも違うと言う学者（研究者）がいるのでしょうか。あとで触れますが少なくとも石井進氏の国衙軍制論を是とするならば、それはこの命題を認めたことになります。つまり今ではほとんどの学者さんが、認めているのではないでしょうか。国衙の長は国守であり、国守は建前としては天皇に任命されるのですから。あとはそこにどれだけの意味を重み付けをするかと言うことだけですね。

武士は奈良時代の昔から存在

これも、最初から��橋氏の説を、素直に「そうなのか」と思えなかった原因のひとつです。それを強調されたい理由はぼんやりとは解りましたが。でも、それは「武士とは社会的分業が家業の形態をとる歴史的段階において成立する職業身分のひとつ」、と言う��橋氏ご自身の武士の定義とも矛盾しはしないでしょうか。

もちろん��橋昌明氏は、「奈良・平安時代の初期から存在している」武士を「武官系武士」として、後の「軍事貴族」「兵の家」とは区別しています。以下ポイントだけ要約すると、

国家、当時は朝廷にとって、武士とは日常的には王の安全と都の平和、奥州と太宰府の平穏を実現すべき存在である。（p167）

このことから武士は王側近の武力から生まれ、主に都と辺境に配備され、必要に応じて諸国に派遣された。（p167）

武官系武士を生み出す衛府（ことに近衛府）は天皇直轄の官庁であった。しかも特殊な技術や知識を専修する氏（うじ）はまず中央の下級貴族・官人層から発生する。 （p168）

中世につながる武士が典型的には下級貴族の一類型として、また武官系武士の伝統を継承する形でしか出現しえなかった由縁。 （p168）

武士を論ずるには史実の面からも方法面からもまず都から初めねばならなかった。 （p168）

「武官」を何故「武官系武士」というのでしょうか。「武士」と言うところを全部「武官」とか「武人」とかに置き換えて読んだ方がすっきりしません？　そのあたりに��橋氏の職能的武士論のエッセンスがあるのかもしれませんが、しかし、ここだけはいまだに納得がいきません。 というか、��橋氏は無用な誤解や警戒心を起こさせて損をしているのではとすら。

例えば、４点目ですが、「中世につながる武士」が「下級貴族の一類型として、また武官の伝統を継承する形で」出現した、といったら私にはすんなり理解できるし、現在はそう思っていますが、しかしそれでは��橋氏の論点は表せないんでしょうか。��橋氏が「中世につながる武士」と表現したものは、安田元久氏が「古代的武士」と表現したもの、つまり「兵（つわもの）」の段階ですね。

「中世につながる武士」が「中世の武士」も含んでいるのなら、「中世の武士」を除いたものが。

��橋氏のいう「武士とは社会的分業が家業の形態をとる歴史的段階において成立する職業身分のひとつ」であり、その「武士の身分を認知するのは、究極的には王権」という定義は、「兵」（つわもの）の段階からではないでしょうか。もちろんそれ以前もそうでしたが。

そしてその「兵」は、「武官系武士」とは違って、「中世の武士」に直接つながっていきます。「古代」と「中世」の境目を「在地領主的武士論」の方々がこだわった「私営田経営者」から「開発領主」への移行時期、つまりおおよそ院政期の始め頃ととりあえず置いて。

「在地領主的武士論」な方々が真剣に見ていたのは、実は「武士団」ですよね。「武士」と「武士団」は同じようで微妙に違うと最近思い出しました。「武士」の発生、「武士」の家系というとき、実は「侍」である「武士」を主に見ています。「軍事貴族」という場合もまさにそれですね。

歩徒の郎党が軍事「貴族」な訳がありません。それはあくまで「軍事貴族」が率いた「従類」「伴類」「郎党」です。平将門が率いた何百、何千の軍勢は武士か、そりゃ農民だよ、というのは今では定説。では保元・平治の乱で源義朝が率いた300は？　そりゃちゃんとした武士（武士団）でしょう、とこうなるんじゃないでしょうか。

武士身分

第一部の付論「武士発生論と武の性格・機能をめぐって」の2節で、錦織勤氏の批判？に論及された中でこうおっしゃっています。これが反論のメインではありませんが。

ごく最近（*1）錦織勤氏の武士身分についての論文が出た。それは「武士」と「侍」が一致していないと言う戸惑いから始まり、鎌倉幕府法の検討を経て、「『武士』と言う言葉自体は身分用語には成り得ないもの」との結論に至る論である。私に言わせれば、氏の疑問は、侍と言う出生身分、武士と言う職業身分、御家人という帰属身分の、身分類型上の区別と関連をおさえさえすれば氷解しえるものである。 （p168）

ごく最近と言うのは��橋氏が書かれた時点からで、1999年の「日本歴史」608号「鎌倉幕府法に見える『武士』について」という論文です。

確かに「出生身分」 「職業身分」 「帰属身分」という分類の仕方はこの問題への解としては魅力的です。　ただ、一般的に「身分」というと、3種類にも分類して考えるということはあまりしません。

錦織勤氏前述の問題については1974年の『シンポジウム日本歴史７−中世国家論』の中で福田豊彦氏 や黒田俊雄氏らが議論されていますね。私も「武士と言う言葉自体は身分用語には成り得ないもの」と、一旦は言い切った方が誤解が無いように思えます。なんせ江戸時代の武士身分、侍＝武士と言う一般的な刷り込みがあまりにも強いので。そちらを断ち切ることの方が先決かと。

ちなみに、「錦織勤氏の武士身分についての論文」自体は、私は読んでいないのですが、石井進氏が、『日本の歴史12中世武士団』（小学館 1974年）の中で図示されています。

石井進氏は図や表で説明するのがとっても好きで、おかげで判りにくい関係が私などにも、誤解無くとても良く理解出来ます。　あくまで鎌倉幕府の世界においてですが。

• 公家と僧侶は鎌倉幕府の支配下には無い。
• 農民とかその他の自営の一般庶民を凡下・平民・甲乙人と呼び、それに隷属的な奴婢・雑人が居た。
• 「武家」といわれるものが一般にいう「武士」のことであり、それは「侍」と「郎従・郎党」とに分かれる。
• 「郎従・郎党」は武士ではあっても主人をもつ者、「侍」はその主人であり、通常は小なりといえども所領を持つ。

鎌倉幕府の基本法とも言える、御成敗式目では、この表にあげた身分によって、異なった刑罰を科していました。例えば侍は所領を没収、郎党の場合は禁錮とか。「僧侶」と「武家（武士）」の違いは「職業身分」、「公家」「侍」「郎党」の違いは「出生身分」、「御家人」と「非御家人」の違いは「帰属身分」と、こういうことになりますね。

「凡下（平民）」と「奴婢・雑人」は「出生身分」でしょうか、それとも「帰属身分」でしょうか。まあそこまで厳密でなくとも。

尚、��橋氏の在地領主的武士論への異論・反論としては前の5章１節の最後はもっとわかりやすいです。これには手をたたいちゃいました。その通りだと私も思います。

11世紀以降、在地領主の武士化ではなく、武士の在地領主化が進行した。 （p148）

これには前掲の「武士論革新の意欲を共有する、ないし武士に深い関心を持つ研究者諸氏」も反対はしないのではないでしょうか。いや、斉藤利男、杉橋隆夫のお二方は読んだことはないのですが。元木泰雄氏も『武士の成立』の中でそうおっしゃっていますね。東国ではと言う条件付きだったと思いますが。

余談ですが、もうひとつうまい言い回しと思ったのはこれです。

かくして、鎌倉武士は武官系武士や軍事貴族の否定的肯定であり、肯定的否定であった。新しい酒が古い革袋に盛られたのである。(p148 1部4章の結びの一言）

唸りましたね。何でかは直にご覧になってください。このサイトでそこに言及するのはまだだいぶ先の話。あるいは永遠に無いかもしれません。何のことだ、気になるじゃないかとおっしゃる方は川合康氏の『源平合戦の虚像を剥ぐ』（1996年　講談社）をご覧ください。

と、ちょっと尻切れトンボのようにこのページを終わるのは「��橋昌明氏の国衙軍制論への態度」でまたこの問題を再燃させようと企んでいるからです。　

2007.10.14〜10.27 追記
2008.01.09〜01.13 更新

参考

大概の人は「貴族」＝「軟弱」のイメージが払拭しきれないので、最近拾った事例を紹介しておきます。と言いながら自分用のメモみたいなものですが。ちなみに私は、室町時代以降の貴族なんて、あんなもの貴族というのが間違いだと思います。貴族は支配階級であって、室町時代以降、特に江戸時代なんて、あれは大昔の貴族の子孫というだけではと。

卒伝より

• 808年卒　安部兄雄　正四位下　「文に乏しく、武に堪うる者」
• 823年卒　越後守伴宿禰弥嗣　歩射を得意とし、若い頃は性疾悪で、人間を標的にして射たりした。（なんてやつだ！）
• 852年卒　右衛門督紀朝臣　「武芸之士」　力は強く、京畿の盗賊を追補しこれを絶尽させた。
• 858年卒　三河守安部朝臣氏主　騎射を得意とし夜間盗人を追い負傷したが翌日これを捕らえた。
• 888年卒　　従四位上文室朝臣巻雄　武人の血を引き幼少から勇力あり、読書は嫌いで弓馬を習い、馳射（はせゆみ：おいもの）を得意とした。帯刀舎人（たてわきのとねり）を振り出しに武官系を歩き、左近衛少将のとき、狐が東宮の屋根を走ったが、　巻雄は屋根に登り狐を剣で切り捨てた。
• 850年卒 　太宰師三品葛井親王は幼少より頭の回転が速く、射芸に優れ・・・
• 853年卒　従五位下　百済河成　武勇に長じ強弓を引き、左近衛府に属した。絵が上手で「今昔物語集」(24-5)に脚色されて飛騨工（ひだたくみ）との技比べが出ている。
• 850年卒　従四位下　興世朝臣書主（ふみぬし）　学問の家に生まれたが左兵衛大尉、左衛門大尉兼検非違使、右近衛将監なども歴任し、学問や音楽にも長じていたが「武芸の士」も同様であった。和泉守として「治声頗聞」。ついで備前守を勤めて、任期がおわり、京に帰るとの噂が流れただけで、都への道のりの国々は穏やかになった。（盗賊がなりを潜めた）

参考：阿部猛　教養の日本史　『平安貴族の実像』（東京堂出版 1993年）