2012.09.24  阿佐ヶ谷三畳一間のアパート  

おっ、あの信号は日大通りの信号でしょう。となると曲がるのはこのへん。

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始めてそのアパートの確認に行くときに、地図でルートを確認したときのことを思い出しました。

実はひとつ前を曲がって間違いと気づいて引き返したんですが。こんどこそ。

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おっ、公園が。トイレもある。ここはあのときの。
あのときというのは始めてそのアパートの確認に彼女と行ったときのことですが。

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なんか「よろしく哀愁」な気分になってきました。いや、そのときの彼女は南沙織には似てはいなかったのですが、曲の感じが(郷ひろみの歌い方には「哀愁」なんて無いし)。何はともあれ、ここを通ったに間違いありません。この辺に公園はここしか無いんです。そのときも夜でした。なのでこの撮影も夜にやっている訳で。

この斜めの十字路を右へ曲がります。こういう十字路だか三叉路の尖った角に駄菓子屋がありました。それがここかどうか確証はないのですが。大体、アパートから駅に向かう途中の左側にあったような気がするんです。でも地図で見ても他に該当するような角が無いんですよね。

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あれ? 良く見たらここは五差路じゃない。とすると右奥の角にあの駄菓子屋が? そうだと付合します。
やっぱりはここだったのでしょうか?

あの先です。

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見えてきました。

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右側の建物。今は三階建てのマンションに建て替えられていますが。

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この端っこに三畳一間の部屋がありました。トイレは南側の部屋と共用で。家賃は7千円。彼女の友達が不動産屋で働いていて、ここなら敷金・礼金無しとかだったのかな? 

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田舎に連れ帰られていた彼女が、学費だけ出してくれたらあとはアルバイトでなんとかするからと親を説得して出てきたんです。当時彼女は19か20、すると私は22か23? なのでお金は無いし住むところもない。いつまでも友達のアパートにいる訳にもいかないというので、住めるとこならどこでも良いって感じでした。

夜中に粗大ごみ置き場でボックス棚を拾ってきたり。建築中の住宅の工事現場を探して、カンナのかかっている板の端切れを拾って、それをまな板にしました。ということはその部屋で料理を作って食べていたということですよね。南口のパールセンター街でお茶碗や汁椀も買ってるし。でも食事の記憶はないんです。
何を食べてたんだろう?

もうひとつのルート。住みだしてからはこっちの道を歩いた気がするんですが、あの日大通りの信号を見て曲がった角のひとつ先を曲がるとここに出ます。日大通りです。

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この通りのテーマソングはちあきなおみの「喝采」です。夜中にここを歩いてアパートに帰るときに、ちあきなおみの「喝采」を頭の中で何度も反芻しながら歩いていた記憶があります。

リリースは 1972年9月ですか。五輪真弓の「少女」とほとんど同時期ですね。

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昔判らなかった三畳一間アパート跡地をどうやって突き止めたのかというと、あの日大通り信号と日大二校までの南側の角で、40年前のアパートの跡地となるとあそこしか無いんです。

例えばこの建物。個人病院でどう見てもそのころからあったような作りでしょ。アパートの持ち主は売って土地まで手放すこともあるにはあるけど。でも建てなおす方が多いと思います。

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それとあの公園ですね。番地を手がかりに地図を見ていたときの記憶との位置関係の付合も。
実はこの数日前に自転車で走りながら推理をしていたんです。それを元に今日はカメラを持って実際に歩いてみたという訳で。