2012.09.29 荻窪二丁目から荻窪駅まで |
先に地図を。 荻外荘から元のバス通り(今は環八)に戻って駅の方へ。 このあたりは昔はマーケットでした。ちっちゃい店が沢山。大船のあそこみたいな感じ。記憶にあるのはおっきな樽に水と里芋を入れて木の道具で里芋同士をこすり合わせて皮をとっている光景。やはり樽でモヤシを作っているとこ。そして魚屋さんでは樽に沢山のドジョウがいて、代わる代わる水面に空気を吸いに上がって来ていたことです。 もうちょっと手前だったか、よく氷とかトコロテンを食べに行った店がありました。そこの氷は本当に細かくて、舌にのせるとフワ〜と解けて行くような。あんな美味しい掻き氷は以来食べたことがありません。 向こうから来たのですが、荻窪駅行きのバスはここで右(写真の左)に曲がります。その角のあの煉瓦色の4階建ての場所には本屋さんがあったんじゃないかなぁ。「少年マガジン」が発行された頃です。1959年ですか。半世紀も前になるんですね。
これが曲がった先の昔ながらのバス通り。今の環八も昔はこれぐらいだったんですよ。 その先を左に曲がって直ぐに右に曲がるのが歩いて荻窪駅に行く道。ようするに車が少ない。で、この盛り上がった橋で善福寺川を越えると・・・ 山晶工作所があります。その窓には鉄格子。昔は猟銃のお店だったんです。 現在のHPには「切削加工から研削加工、ラップまで各種工作機械設備と半世紀以上に渡って培った技術で多種多様の部品製造を実現」とありますから、昔は猟銃を売ってるだけじゃなくて作ってもいたのかもしれません。
そのすぐ近くに桃井第二小学校が。運動会でした。 更に進むと・・・ うわっ! 竹中書店がまだある。古本屋さんです。うちの両親はよくきたらしい。
現在の荻窪駅です。こんなのは荻窪駅じゃない! こんなのも荻窪駅じゃない!
このアーケードの左側は昔の闇市跡みたいで、迷路みたいな通りとちっちゃい食べ物屋さんがひしめいてたんです。 そこで売れない文人や売れてる文人、私のような芸術家(世間の声:「誰が!」)なんかが安酒のんでくだをまいていたんでありますよ。それが、なんでしょ、このありさまは。情緒もへったくれも無いじゃありませんか! でもその風情の現代版は、吉祥寺、新宿の思い出横丁に残ってますがね。あと吉祥寺のいせやにも昔の雰囲気が。闇市跡ではありませんが、新橋ガード下のような雰囲気はここ荻窪駅の北口にも。 その東側が川南へ行くバス通りの曲がり角なんですが。その向こう側に昔は証券会社か銀行がありました。祖母がよく来ていました。私はそのお供で。 左を向くと昔の踏切跡が。ここを通った記憶があるんだけどなぁ。昔はここが甲州街道が中央線と交差する踏切だったそうです。 でももっと左側だったような気がするんだけどなぁ。
昭和19年撮影の荻窪駅東側大踏切の写真を見つけました。南側からですね。 |