2012.9.29 11.3    我が家跡から庚申橋へ  

我が家跡から庚申橋へ

我が家から庚申橋の方へ、解りやすく言えば銭湯とか高井戸中学に行くときの橋の方への最初の角です。渡辺君家の正門はこの角を曲がった先です。そちらは次ぎのページに任せて、真っ直ぐ先へ橋の場所まで行ってみましょう。



次ぎの角に庚申塔が。おそらく庚申橋の袂にあった庚申塔がこれかと。中央高速に追い出されて、移る場所がここしか無かったのでしょう。

高井戸玉川上水の家-13.jpg

ここは中央高速の用地買収の頃には畑だったのかもしれません。マンション+駐車場と土地は細かく分割されていませんし。昔からの農家なら庚申塔を粗末には扱いませんから。

次ぎの角は今ではMAINSTAGE八幡山というマンションの角になります。この角を曲がると八幡山駅なんですが、でもここは高井戸だぞ! 

高井戸玉川上水の家-14.jpg

その向こうが昔の庚申橋のあったところ。今では歩道橋が中央高速を跨いでいます。庚申橋というからには庚申塔があったのでしょう。私も妹も記憶に無いのですが、その庚申様がさっきの庚申塔かと。かつての庚申橋。歩道橋に行ってみましょう。

高井戸玉川上水の家-15.jpg

この右側のあたりのアパートに私の絵の先生が居て、そこで油絵を描いていました。最後の頃は一番下の妹も。その妹が書いてる途中で、「ここはこういう風に書くんだよ」とかアドバイスをしたら、その先生に「自由に書かせなさい!」と怒られたことが。
これでも私の絵は上野の美術館に展示されたんで御座いますよ、凄いでしょ(エッヘン!)。日展や国展じゃなくて全日本学生美術展ですけどね。高校のときに「美術展の搬入で早退します!」と言ったら、数学教師の担任が、「美術展と授業とどっちが大切なんだ!」というので、「美術展です!」と言って出てきました。先生もしょうがねぇなぁと苦笑してましたが。あの担任の先生には結構可愛がってもらったんすよね。

で、歩道橋に上がってみました。
う〜ん、我が家の跡地はこの写真では解りにくい。この車道の左側に別れた出口あたりです。

高井戸玉川上水の家-16.jpg

妹が「お兄ちゃん玉川上水で泳いでたじゃない」と。
「えー! 泳いでないよ」、「でもナマズとか取って飼ってたじゃない」、「あれは釣ったんだよ」。
釣ると言っても、夕方に針に餌を付けて放り込んで、翌朝引き上げるという単純な方法です。
私が釣ったのは15cm弱のナマズの子供で、水瓶で飼ってました。でも祖父の家に居た従兄弟の良ちゃんはハヤとか釣って、塩焼きにして食べた気が。

「でも家庭学校の子とか泳いでなかった?」、「う〜ん、そうだっけ?」
そういえば家の裏から飛び込んだとして、その下流でどっか上がれるところはと探した覚えはあるなぁ。