2012.9.29 11.3 我が家跡から庚申橋へ |
我が家跡から庚申橋へ我が家から庚申橋の方へ、解りやすく言えば銭湯とか高井戸中学に行くときの橋の方への最初の角です。渡辺君家の正門はこの角を曲がった先です。そちらは次ぎのページに任せて、真っ直ぐ先へ橋の場所まで行ってみましょう。
次ぎの角に庚申塔が。おそらく庚申橋の袂にあった庚申塔がこれかと。中央高速に追い出されて、移る場所がここしか無かったのでしょう。 ここは中央高速の用地買収の頃には畑だったのかもしれません。マンション+駐車場と土地は細かく分割されていませんし。昔からの農家なら庚申塔を粗末には扱いませんから。 次ぎの角は今ではMAINSTAGE八幡山というマンションの角になります。この角を曲がると八幡山駅なんですが、でもここは高井戸だぞ! その向こうが昔の庚申橋のあったところ。今では歩道橋が中央高速を跨いでいます。庚申橋というからには庚申塔があったのでしょう。私も妹も記憶に無いのですが、その庚申様がさっきの庚申塔かと。かつての庚申橋。歩道橋に行ってみましょう。 この右側のあたりのアパートに私の絵の先生が居て、そこで油絵を描いていました。最後の頃は一番下の妹も。その妹が書いてる途中で、「ここはこういう風に書くんだよ」とかアドバイスをしたら、その先生に「自由に書かせなさい!」と怒られたことが。 で、歩道橋に上がってみました。 妹が「お兄ちゃん玉川上水で泳いでたじゃない」と。 「でも家庭学校の子とか泳いでなかった?」、「う〜ん、そうだっけ?」 |