2015.06.06   東慶寺はお茶会が占領中 

駅前で予約したお弁当を受け取り、東慶寺へ。12寺17分です。

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実はその前にまた私の私的な寄り道で、東慶寺ギャラリーの「二人の和紙展」に顔出ししてきたんです。初日だったので。二人とは奥出雲の斐伊川和紙の紙漉き職人・井谷伸次さんと江戸経師の鈴木光典さん。私のちょっとだけ知り合いです。
そこで鈴木さんにみんなを「古文書な人達です」と紹介したら、古文書修復をやってる人達と勘違いされてしまいました。あとでみんなに「歴史好きな人達で良いでしょ!」と怒られちゃった。
だって中世古文書講座の知り合いじゃあない。(;^_^A

鈴木さんがあるパネルを裏返して、明治初期の木版本の紙を裏張りにしている処を見せてくれたのですが、
連署だったかなぁ「なんでそんなことをするんですか?」と。私が「紙が暴れるのを押さえるためだよ」と言ったのですが、説明不足ですね。1週間後の「東慶寺・和紙ツアー」のページで補足致します。

前回来たのはちょうど1ヶ月前ですが、もうアジサイは満開です。

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本堂の庭には蛍フクロ。

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白蓮舎にお着物な女性が見えます。

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お客さんではなくて、もてなす側の方のようです。
今日はお茶会で占領されて、我々は入れません。 まあ知ってはいましたが、残念。

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しかたがないので、対岸から花菖蒲を。

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岩がらみの公開もこの日は無し。なので宝蔵裏の岩がらみをみんなに見せました。

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12寺39分。さあ、お昼です。
昔はここに「飲食お断り」みたいな立て札があったと思うのですが、写真仲間のYさんはお寺の人にお弁当を食べても構わないと云われたとか。でも私以外にここでお弁当を食べている人を見たことがありません。なので真似をして怒られてもおりゃしらね。あっ「禁煙」の立て札は今でもあります。残念! お線香だと思えばいいじゃんねぇ。バキッ!!☆/(x_x)

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そうそう。執権奥さまの冑は良く見たら鋲は星形でした。アメリカ陸軍なら大将十人分ぐらい?
すげー! さすがは執権奥さま。公方だろうが大統領だろうが、執権奥さまにはかないません。

本日のお弁当はこれです。
光泉のおいなりさんに、悪の秘密組織さんに買ってきてもらった大船軒の「鰺と鯛の押し寿し」。
おいなりさんひと折りに鰺が鯛の押し寿しひとつずつ。光泉のおいなりさんだけでも十分美味しいのですが、鰺が鯛の押し寿しが加わることで更にリッチに。(笑)

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お食事処の傍に井戸があります。
実はこの井戸がこの女性を「お嬢ちゃん」呼ばわりする真の理由なんであります。
私が「○○さんこれ知ってる?」と聞くと「しらな〜い(キャピッ)」と。
うっ、俺のこと年寄りあつかいしやがって、ムカツク! 
なので「面白いからやってみな〜♪」 

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ガシャンガシャン、ジャー、「わ〜、面白〜い♪」と云ったその瞬間すかさず、
「子供はみんなやりたがるんだよな〜」と云ってやりました。
「ひど〜い!」だって。何処も非道くはありません。何処が違うんでしょう。見て下さい。

まったく同じじゃありませんか。

仕返しに御座りまする。(笑)


腹拵えが済んだところで、この妖しげな一団は一丸となって宝蔵へ突入!
そこで宝蔵自称学芸員のギャラリートークがあったので御座います。メインはこの聖観音菩薩立像 の由来と装飾技法。元々は鎌倉尼五山第一位の太平寺の本尊であった豪華な観音像です。太平寺の歴史を鑑みるとこの像が鎌倉時代というのは有りえず、足利満氏の頃だと思います。蘊蓄はこちらをご覧下さい。えっ、自称学芸員て誰だって? もちろんわたくしめに御座います。


この画像は許可を得て年末の宝蔵休館日に撮らせていただいたもの。宝蔵は撮影禁止です。

13寺8分。
次ぎはやぐらフィールドワークで御座います。これは五世住持用堂尼の墓所と伝えるやぐら。

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用堂尼は後醍醐天皇の皇女ですのでもちろんこのやぐらは後期型です。
「日本葬制史」な執権奥さまは丹念に画像資料採取中。
連署の胸には双眼鏡が。俺のより高そう。

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 開山・覚山尼(北条時宗夫人)のやぐらは前面が倒壊していてどちらか判別できません。
前期型、つまり鎌倉時代のものは本堂の裏手にありますが、今日はお茶会のために本堂裏へ入れない。と云ってもあれを鎌倉時代のやぐらではないかと云っているのは私だけ。お寺では第二次大戦中の防空壕だと。そういう再利用の例は沢山あります。

ところで、その住職らの墓地にひときわ大きい天秀尼の墓と、その脇に尼ではない天秀和尚御局、台月院殿明玉宗鑑大姉の宝篋印塔があります。これに関して私は歴史研究家の三池純正さんと真っ向対立する認識をしています。ただ中世史ではないので、それについては東慶寺天秀尼展記念講演会をご覧下さい。ここでは省略。

学術調査を終えて、あとはのんびり岩タバコ観賞。

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でもなんか、去年、今年と薄くなったような。

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こんな花なんですが、花はありますが花弁はありません。あるじゃないかって? あれ、5つの花弁のように見えますが、丸ごとひとつなんです。ほら、これ

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これは歴代住職のお墓の岩壁だったかな?

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