上土門(重文)と唐門(重文)です。私にとってはお宝画像ですね。
TV版「荒川アンダーザブリッジ」風に云うと「たっからものー」ですね。人それぞれで違います。
唐門はここ法隆寺にはもうひとつあるんですが、上土門は全国でもこのひとつだけではないでしょうか。
絵巻には良くでてきます。これは『松崎天神絵巻』に描かれる上土門。
ただし、現在は土ではなく檜皮葺になっています。 元に戻したくとも土がいったいどういう風になっていたのか判らず、それで復元できないのだとか。
こちらが唐門。 現在唐門というと唐破風が正面にくる形が多いのですが、寝殿造の時代にはこうです。現在の唐門は多分室町時代ぐらいからではないかと。
下は鎌倉時代の『法然上人絵伝』に描かれる唐門です。元々はこういう風に唐破風は両脇。
西園院の客殿の屋根
こちらは西園院の客殿(重文)の屋根。いやー西園院は立ち入り禁止で見られないと思ったら外からでも屋根は見えた。ラッキー♪ この屋根、何で葺いてあると思います?
檜皮とばかり思っていたら杉皮らしいですこれ。 今ではこうして竹で押さえるのを大和葺というそうですが。
杉皮は竹釘は使ってなくて並べただけに見えます。 横に竹を並べてそれで押さえています。そして縦の割竹でその縁押代わりの横の竹を押さえています。紐が見えるので縁押代わりの竹を結ぶと同時に屋根の下の木舞とかとも結わえて固定しているように見えます。
同じ西園院にはちゃんとした檜皮葺の屋根もあります。軒の厚みが全然違いますよね。ただあの軒の厚みは軒だけです。そうなったのは鎌倉時代以降だと思いま
す。というのは屋根の小屋組が関わってくるので。 平安時代に庇の部分が野屋根の下の野垂木と、下から見上げたときの化粧天井の化粧垂木の二重構造になって、更に鎌倉時代にその間に桔木(はねぎ)が入って庇の先端を支える、という構造になってからだと思います。つまり桔木分の高さをあの分厚い檜皮層で盛り上げていると。
西園院の客殿の場合にはその軒というか縁の厚みはありません。全体均一にあの厚さで葺かれていると思いま
す。 上の通常の檜皮葺でも端の断面が見える部分以外はこれぐらいの厚さで葺かれています。すると桔木は使われていない? 庇の軒先が見えないのが残念ですね。
檜皮葺は現在では最高級の屋根なんですが、元々の檜の表面の粗皮だって平気で使った時代には葺き方はこうだったんじゃないでしょうか。これは杉皮ですが。
update 2016.05.15 2017.08.02 |